PICK UP リレー
平成、令和に卒業された同窓生の「今」をお伝えします。
人脈を学ぶ学生時代
長商在学中、精神的に弱い自分を見直すべく弓道部に入部し、県大会で御活躍された長商の先輩方がおられた極真空手道場にも通いました。そこで、人徳と実力のある長商の先輩方に、弓道の精神力と極真空手の厳しさを教えて頂きました。その後大阪に旅立ち、大学時代、母校長商で教育実習(社会科世界史)をさせていただいた体験は、のちのNST生徒を導く仕事で大変役に立ちました。
大学卒業後、空手、忍術、武器護身術、キックボクシング、ヨガなど、諸先生方の御協力でNST格闘技スタジオを設立致しました。現在、長野県を中心に新潟県、大阪府、和歌山県、沖縄県にスタジオ・管理道場が有ります。当時はあまり得意ではなかった簿記、そろばん、商業法規なども、会社設立に大いに役立ち、今日に至ります。
長商は、良い意味で素晴らしい変わり種が多いと言われます。他分野にも活躍の場を広げ大躍進しているのは、人を導く術をお持ちの方が多いからです。社会に出てもう何年にもなりますが、学生の頃と同じ気持ちで生涯付き合える仲間が沢山います。長商OBとして、現役の皆様が御活躍され、永きに亘る長商歴史の1ページを飾ることを御期待申し上げます。
【経歴】
・極真勇姿舎 極真空手 長野 新潟 大阪 和歌山 沖縄統括長
・拳志會 沖縄剛柔流空手沖縄古武道 長野支部長
・マグネット吹矢協会 インストラクター
・健康吹矢協会 理事
・ISKA JAPANアマチュアキックボクシング北陸・甲信越大会ブロック長
・ISKA公認トレーナー ISKA公認 弐段
・高等学校教諭一種免許状(地理歴史)
・放課後児童支援員
Explore to Realize
長野という土地柄か星や空を眺めるのが好きだった。SF映画を観ては宇宙など未知の世界に憧れたが、これらの趣味を究めたり仕事にするという考えはなかった。簿記会計の専門学校では、人工衛星やISSなどユニークな勘定科目を計上するJAXAの会計処理がたびたび取り上げられ、初めてJAXAの存在を知った。そして、簿記会計の専門能力を武器に、数々の社会課題や未知の領域に挑むため、趣味が共存するJAXAに入社した。
華々しい成果や成功の裏には全体2割の事務系職員が欠かせない。これまでに財務・調達・評価監査・WLB推進・業務改革/DX推進など多様な業務に携わってきた。常に心がけているのは、自分より二階層上の職位に求められる能力や思考を意識して行動することと、根拠のない自信を持つこと。JAXAは優秀な宇宙人(ウチュンチュ)が多い。仲間から刺激を受けつつ、新しい分野への探求や挑戦に対し自分も「できる!」という根拠のない自信を持って取り組むことで、度胸や根拠のある自信がつき、それが個人→JAXA→社会へと繋がっていく。やるべきことは多い。人々に夢や希望を与えるだけでなく、人々の生活・経済・安全に貢献するため、日々の業務に臨みたい。
初心を忘れずに
高校時代は公務員志望でしたが試験に落ち、時期はずれの就職活動を経て、開業医の医療事務を3年やりましたがリストラにあい、長商に相談に行ったところ担任だった三澤秀樹先生に「長商に来い」と言われ、長商に職員として逆戻りしました。職は実習教員という実技科目を担当する教員の臨時採用でした。「総合実践」で3年生の全クラスの授業20時間以上を受け持ちました。恩師と席を並べる毎日は新鮮で、生徒からも沢山の刺激をもらいました。この時、三澤先生に「教員の仕事は、やってもやらなくても誰に何にも言われない。どう働くかは自分次第だ」と言われたことが今でも私の中で金言となっています。
任期が明けてから一般企業に就職しましたが学校が忘れられず、23歳で採用試験を受けて、実習教員として正式に採用されました。働きながら大学にも通い、教員免許も取得しました。教科は理科と変わりましたが、3年前までは再び母校でお世話になり、いくばくか恩返しができたか、と思っています。ブラックと揶揄される学校現場ですが、人の育ちに関われる唯一無二の仕事。初心を胸にこれからも頑張ります。
人との出会いに感謝
私が長野商業高校を進学先に決めた理由は、中学から始めた卓球で強くなりたいと言うこと、さらに卒業後の就職も商業科での学びが活かせると思ったからです。
山ノ内町から始発終電で通学する多忙な毎日でしたが、今となってはかけがえのない高校生活でした。卒業後は事務系の仕事につきましが、何か自分の中で物足りなさを感じていた際、「蕎麦」に出会いました。
現在は全くの異業種である、お蕎麦屋さんをしています。
地元山ノ内町で蕎麦打ち、美味しい蕎麦つゆを求め長野市の蕎麦屋へ天ぷらは飯綱町の飲食店へ修行したのち、昨年12月にオヤマボクチ蕎麦「八方味人(はっぽうびじん)」を開業することが出来ました。
高校在籍中、勉強以外にもたくさんのことを学ばさせていただきました。今の私があるのはたくさんの方に支えていただいたからです。
在校生の皆さん、人と人との繋がりを大切にし、楽しい高校生活を送ってください。そして、ぜひ私のお蕎麦を食べに来てください!
〒389-1226 上水内郡飯綱町川上2755-209
いいづなリゾートスキー場内
自分の経験を活かして
長商を卒業後、大学ではアメリカンフットボールに打ち込みました。怪我で悩まされた時期もあり、それを乗り越える過程で自分の経験を活かし、選手をサポートする立場になりたいと考え、大学卒業後に柔道整復師免許を取得しました。
2008年に長野市に接骨院を開業し、スポーツ選手を支えるトレーナーとしての活動もしています。長野市の社会人野球チーム「信越硬式野球クラブ」では2007年よりトレーナーを務め、毎年東京ドームで行われる日本アマチュア野球の最高峰である「都市対抗野球大会」に出場するためにもサポートを続けています。野球だけでなく、競泳やラグビーなどをはじめ様々なスポーツ選手のサポートにも関わらせていただいています。自分の好きな事を仕事にし、人の役に立ち、喜んでもらえるこの仕事は私にとっての天職です。これからも、より多くの人々の役に立てるよう日々精進していきます。
一人の料理人エピソード
私が長商に在籍していた頃、将来の夢はなく、ただ就職や進学に有利ということで資格などの勉強をしていました。実家が遠方で一人暮らしをし自炊をしていたこと、長商デパートの食堂での体験から、感動を与えることの出来る食に携わりたいと思いが募り、そして夢になっていきました。
私のきっかけは些細なことです。色々な方々と繋がり、沢山の経験、体験を頂き、今現在心から充実しています。何が自分の人生を変えるきっかけになるか分かりません。
『人生の主人公はじぶん』なので、私は沢山行動し、経験・体験をし、感動の分母をこれからも増やしていきたいと思います。
経歴
東京の日本料理店にて修行。日本三大料亭のひとつで懐石料理、銀座の4代続く天ぷら屋。その他、麻布十番でイタリヤ料理、世界一のピッツァ職人の元でナポリピッツァを学ぶ。
2019年25歳の時に地元に戻り、Ristorante Narvalo『イタリア料理と和のエッセンスの出会い』をテーマにしたレストランを開業。
努力は実る
努力は必ず実る。勝利や成功に繋がらなくとも、自己の成長という形で結実する。この事を部活動で身(筋肉)をもって経験できたことが、その後の私の人生を決定づけた。
ハリウッド映画と英語好きが高じて海外生活を夢見(趣味は大事)、就職氷河期にあって、約40社を受け、失敗を積み上げながらも総合商社の三井物産に合格。これまで、国内の電力販売、家庭向け太陽光事業立ち上げ等に取り組むも海外勤務はインドの2年のみ。そこでポルトガル語の勉強を始め、猛烈な社内アピールの末、ブラジル担当部署に異動。現在、海上の石油・ガス生産貯蔵設備(FPSO)事業運営等を担当。40過ぎた今も筋肉鍛錬と仕事/言語の勉強は欠かさない。受験や就職は通過点でしかなく、勉強と成長、決断は常に求め続けられる。勉強は脳の筋トレであり、学生時代にその基盤鍛錬を頑張った事が今の基礎と痛感している。長商生の皆さんにも、今しかない今を悔いなく生きてほしい。
私も、始めるに遅すぎる事はなく、何事も楽しんで取り組む主義で生涯新しいことを学び続けたい。
趣味を仕事に
高校2年のとき、アメカジが流行していた。ジーパンから飛び出た財布が妙にかっこよく見えた。店で売っているものが気に入らず、自分で財布を作りたいという思いが強くなり、市内の手芸店「サンエイ」で革と針と糸を買い、本を見ながら夜を徹して作った。 “ 面白かった ”
周りが就職か進学かで悩んでいる頃、イタリアに渡り革職人になる道を考えたが、父親の上司から飯田で革製品を作っている会社の社長を紹介された。その会社はベルトを年40万本作る会社であったが、その会社に13年間お世話になった。30歳になった時、会社の同僚数名と独立し新会社を立ち上げた。会社といっても個人事業なので残業もあるし、休暇もなかった。現在従業員は6人であるが、OEM生産で年3万本のベルトを作っている。コロナ禍で苦しい時期もあったが、最近ようやく持ち直してきた。ハイクオリティーの革製品を作り続け、従業員へ世間並みの待遇ができる会社になるべく着実に一歩ずつ成長させることが目下の目標である。
周りが就職か進学かで悩んでいる頃、イタリアに渡り革職人になる道を考えたが、父親の上司から飯田で革製品を作っている会社の社長を紹介された。その会社はベルトを年40万本作る会社であったが、その会社に13年間お世話になった。30歳になった時、会社の同僚数名と独立し新会社を立ち上げた。会社といっても個人事業なので残業もあるし、休暇もなかった。現在従業員は6人であるが、OEM生産で年3万本のベルトを作っている。コロナ禍で苦しい時期もあったが、最近ようやく持ち直してきた。ハイクオリティーの革製品を作り続け、従業員へ世間並みの待遇ができる会社になるべく着実に一歩ずつ成長させることが目下の目標である。
凡庸と生きる
現在の職場に勤めてから早や30数年。過去を振り返ると、常に成果を出してきたと声を大にして言えるほどのことはしてないが、その時その時で自分なりに出来ることを積み重ねてきた自負はある。最近は、50歳も過ぎ定年までもうひと頑張りしなければと思い、健康に気を使いはじめた。毎日の晩酌も週に一度、筋トレも無理にない範囲で行っている。
その甲斐あってか、徐々にであるが20代の体に近づきつつある。いつまで、この体型を維持できるか分からないが、少なくとも、気持ちだけでも若々しくいたいと思うこの頃である。
最近は、社会活動も正常化しているので、また、懐かし友と酒を酌み交わすことを楽しみに日々の仕事に勤みたい。
長商卒業後の今
子供の頃に漠然と自営業をしたいと思っていた私は、それならばと長商へ入学。卒業後、営業職に就きましたが、6年弱務めて転職。石材店に入社し、今は独立して個人で石材業をしております。
何もないところにお墓が出来上がっていく過程はとても楽しくやりがいがあります。自分が造った物が形に残るのも嬉しく思います。
世の中ではお墓離れが進んでいますが、少しでも需要があるのであればこの仕事を全うしたいと思います。
プライベートでは高校から始めた柔道に30歳を過ぎてからすっかりはまり、今は市内の町道場で指導者として子供たちの指導に携わってます。
長商で学んだことが全て今の生活に活きています。
士魂商才
長商を卒業してから30年余り、その間に築かれたつながりと共に、今回同窓生として再びお会いできることを嬉しく思います。恩師の先生方や同級生、そして同窓生の諸先輩方のお力に支えられ、今在ることに感謝の気持ちでいっぱいです。
時代が進み、教育界でも情報技術の進歩や環境の変化が著しい中、私たちが学んだ「士魂商才」は、今も私たちの心に息づいています。これは人生の中での指針として、困難や誘惑に負けない力を与えてくれます。
同窓生の皆さんがそれぞれの人生を素敵に歩んでいくことを心から願っています。新しい年が皆さんにとって幸せで充実したものであることをお祈りしています。
素晴らしい将来に向けて、共に頑張りましょう。
新たな長商デパート
長商デパートではスーパー雑貨売場の主任を務めました。自分の描いたデザインが包装紙に採用され、今の仕事に進むきっかけになりました。
東京の専門学校を経てCG映像制作会社に入社。現在はプロデューサーをしています。インターネットが一般に普及する少し前になりますが、某通信会社の3次元仮想空間を使ったEC実証実験のプロジェクトに4年間参加し、仮想空間に街や店舗を作りました。いまで言う「メタバース」の前身になる取り組みで、この時の経験が自身の基礎になっています。その後、ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズのCG映像やTVアニメ「やさいのようせい」のプロデュースを手掛けました。
今年長商デパートの「メタバース」出店をお手伝いさせて頂きました。今までの経験を後輩に伝えられる時と30年ぶりに母校を訪れ、取締役メンバーと仮想空間に中庭を再現してOBOGを呼ぼうというテーマを設けました。メタバースやEC販売という新たな挑戦を続ける伝統の長商デパートや生徒たちの活力に負けず、自身の成長に精進したいと思います。
熟年者に健康と笑顔を
私は幼少の頃からクラシックバレエを習い、学生時代はほぼ毎日、レッスンの日々を過ごしていました。もちろん、発表会の舞台には幾度となく立ち、全国バレエコンクールにも出場しました。
高校卒業後は東京に上京し、結婚。2人の子供の子育てで、踊ることからもしばらく離れていましたが、縁あって5年前、在住の江戸川区で40年以上にわたって区内の熟年者に親しまれている「リズム運動」に出会いました。それは、江戸川区独自の軽運動で、社交ダンスを誰でも踊れるように簡単にアレンジしたものでした。
現在、私はバレエの基礎を活かしながら、リズム運動指導員として熟年者に「リズム運動」を指導しております。熟年者の皆さんは、とても元気でパワフルで、いつも一緒に楽しく踊っています。私はこれからも熟年者の健康維持のため、「リズム運動」で皆さんを元気にさせることを常に意識しながら、誇りをもってリズム運動指導員を務めていきたいと思います。
主観と客観
長野商業高等学校を卒業後、アメリカ サンフランシスコ太鼓道場の門をたたいた。アメリカに行こうと思ったきっかけは、高校時代、地元の太鼓チームでアメリカへ演奏旅行をした経験からだ。そこでアメリカの和太鼓を見て、日本人よりも日本人らしい!と感じ、自分は何者なんだ?そんな疑問で頭が一杯になった。日本を離れ、色々な人種と文化に触れる事で自分が何者なのか?を知りたい。そして、4年間の修行。日本を客観視する事で自分が日本人だと言うこと、日本の良さに気づき、伝統的な楽器である和太鼓で生きて行きたいと思った。
帰国後、私の太鼓道が始まった。今は名古屋を拠点に和太鼓×マリンバ GONNAのリーダーとして、海外だけでなく日本全国を駆け巡っている。今年で芸歴30周年を迎え、若かった頃の必死さから今は心にも余裕が出てきた。心の余裕とは、主観と客観を冷静に見極める自分がいるかどうかだ。和太鼓を通して、技術だけではなく、人が生きていくための人間力を養わせる事を重視しながら、今を全力で生きている。
毎日充実しています。
私は2008年3月に長野商業高校を卒業し、東日本旅客鉄道に入社しました。駅の改札でのご案内、みどりの窓口での切符の発売、特急あずさ号などの車掌業務を行い、夢だった電車の運転士を行っていた時期もありました。現在は更なる業務知識向上のため、長野駅で新幹線ホームの安全管理やお客さまへのご案内業務、在来線の運行管理等の仕事をしています。休日には1才の娘と一緒に公園などに遊びに行ったり、お散歩をしたりと毎回ヘトヘトになっておりますが、かけがえのない笑顔を見ることができて毎日幸せです。仕事、家庭共にとても充実した毎日を過ごしております。