会館ブログ(№1~№100)
心は高く 身は低く
第100回長商デパート大売出しは令和6年10月18日(金)から3日間行われます。
1916年(大正5)から続いている「長商デパート大売出し」。今年で100回を数える。長商デパートの名で地域から親しまれ、戦時中8年間中断されたが、コロナ禍にあっても先輩のバトンを受け継いできた。
以前は11月3日を中心に大売出しを行ってきたが、現在は10月の第3週金・土・日の3日間開催している。コロナ前の売り上げ平均は約3000万円。来客数、規模、運営のどれをとっても長野商業高校に肩を並べる学校はみあたらない。正に日本一の高校生デパートである。
今年4月25日に第1回の長商デパート合同会議が早々に行われ、既に準備が始まっている。「長商デパート大売出し」まであと160日。同窓生としてどんな支援ができるか。まずはスケジュールを開けておくことからはじめようではないか。(5月12日)
記念碑の前で。
今日は午後に予定を組んでいたので、同窓会の残務処理を午前中に済ませようと朝7時すぎに同窓会館に行った。早い時間ということもあり生徒の姿はなかった。暫くして窓越しに外を見たら、野球部数人の姿があった。昨日の敗戦をネットを見て知っていたが、どんな試合だったのか気になって声をかけてみた。野球部員は2年生であったが、練習前に草取りをしにきたという。試合内容については口が重かった。草を取っていた場所が65回の野球選手権大会出場記念の前だったので、その当時の話をした。生徒にとっては遠い昔話に聞こえたかもしれないが、甲子園出場を目指すのではなく、甲子園で活躍できるチームを作れと激励した。夏の大会は厳しい組み合わせが予想されるが、ひたむきに努力を重ねてほしいと思う。(5月3日)
いろは堂の伊藤拓宗(高55回)さんにお会いしてきました。
「おやき」といえば、信州の郷土食。ご年配の方ならば、野沢菜、なす、切り干し大根といった具を使った「おやき」をおやつにしていたはずだ。最近の健康志向や種類の多さから「おやき」の人気は年々高まっているようである。インバウンド客にも好評で結構売れているらしい。いくつもあるおやき屋の中で「いろは堂」はすこぶる評判がいい。社長が伊藤拓宗(高55回)さんと聞いで訪ねてみた。指定された場所は2年前に立てられた長野インター近くにある「OYAKI FARM(おやきファーム)」。美術館に思えるような洋風の建物だ。建築家の東野未来氏の設計でコンセプトをもって建てられたらしい。代表取締役の伊藤さんはまだ30代ながら、おやきを年400万個売り上げる会社に成長させた。曾祖父が1925年に小川村の和菓子「いろは堂」の暖簾分けをしたのが始まりとお聞きした。現在の販路は関東中心であるが、将来は世界進出も視野に入れている。従業員に長商出身者が数名いるとか。帰りに「おやき」を買った。上品さとオリジナルさが漂ういろは堂の「おやき」に感銘を受けながら、美味しくいただいた。(4月22日)
長商に赴任された先生方を心から歓迎いたします。
入学式の行われた日の午後6時からホテル国際21において、校長先生はじめ新たに長野商業高校に赴任された全日制・定時制の先生方10名をお迎えしました。有賀校長先生から赴任された先生の紹介があり、代表として定時制教頭の島崎剛先生が着任の挨拶を行いました。
同窓会からは小林副会長と事務局長が代表で出席しました。赴任された先生の中には、同窓生の高橋幸久先生(高47回商業)と目須田威彦先生(高53回商業)の2名がおりますので、母校発展のために存分に力を発揮していただきたいと思います。(4月5日)
高校入学の洗礼を受けた応援練習。
長野商業高校に応援団はない。時代に沿わなくなったと言えばそれまでだが、現在は生徒会主催で「校歌」や「凱歌」の練習を行っている。高23回のIさんから応援練習風景の写真をお送りいただいた。半世紀前の写真である。夢と希望をもって高校に入学したのもつかの間、2週間後には先輩と後輩の上下関係をしっかり叩き込まれた。昼休みに流れる校歌、凱歌、そして応援歌。どこからともなく聞こえてくる応援練習の恐怖。応援歌を歌えないとひどい目にあうということで皆必死に覚えた。
“構え!” の号令とともに太鼓がなり響く。応援団リーダーによる掛け声で止まることがない応援歌練習が延々と始まる。応援団長は高下駄で腕を組み黙って空を見上げている。「声が小せい!」「お前ら、やる気あるんか!」と何度もどやされ、恐怖の時間が一週間続く・・・・。
卒業後の同級会に懐かしい思い出として出てくるのが応援練習。辛く、苦い思い出ではあるが、親の甘えから脱皮し、どこか大人に近づいたそんな応援練習であったように思う。(4月1日)
群馬県立高崎商業高校と交流戦を行いました。
今日は一般財団法人長商会理事会と同窓会役員会の準備で早めに学校に来ると、駐車場にバス用のコーンが置いてあった。運動部の練習試合があるのかなと思っていたら、群馬県立高崎商業高校のバスが入ってきた。出迎えに出た顧問の先生に話を伺うと、ワープロの交流戦を行うということであった。今回は須坂創成高校を加えた3校で交流戦を行うようであるが、年に数回実施しているらしい。運動クラブでは他校との練習試合はよく行うが、文化系でも他校と交流戦を行うことを始めて知った。時間がなくて交流戦の様子は見られなかったが、既に令和6年度が動き出しているのを実感した。(3月30日)
三澤校長先生、お疲れさまでした。
教諭、教頭、校長と長きに渡り長野商業高校の発展にご尽力いただいた三澤校長先生が本日をもってご退職となりました。思えば、30年前に同じ学年の担任団となり、以来ずっと今日までお付き合いをさせていただきました。その学年は “団結” して権堂のスナックによく出かけましたね。先生の十八番は長渕剛の「とんぼ」でした。カラオケが流れると先生を囲んでみんなで合唱したのはよき思い出です。ある時、スナックのママがつけの代金を学年室まで集金に来たのにはさすがに驚きましたが・・・。
三澤校長先生にはいろいろご相談をし、お願いをしました。いつも快く受け入れていただき、同窓会事務局として感謝の言葉しかありません。4月からは松本大学で教鞭をとられますが、末永く長野商業高校を見守り、エールを送っていただきたく思います。私こと。(3月29日)
富士山を背景に “ CHOSHO ” ソフトボール部同志の記念撮影をしました。
3月16日から第42回全国高等学校女子ソフトボール選抜大会が静岡県富士宮市で開催されました。長野商業高校女子ソフトボールは長野県を代表して出場しましたが、初戦で山口県代表の高川学園高校に1対5で敗れました。(高川学園高校は全国3位)
会館ブログ№75,76で長崎市立長崎商業高校の紹介をしましたが、同校の女子ソフトボール部も同じ会場で試合を行いました。両チームとも学校の通称が “ CHOSHO “であることから記念撮影をし、今後の健闘を称えあいました。これからも全国大会で顔を合わせることと思いますが、応援や声援を通じてより交流を深めてほしいと思います。(3月22日)
〇映像資料:you tube 2021年3月23日
「長崎市立長崎商業高校対長野県長野商業高校」
第39回全国高校女子ソフトボール選抜大会
久しぶりに花言葉を調べてみました。
3年生が卒業していなくなると、学校が妙に静まり返った気がします。今朝は3月には珍しく冷たい雪が降りました。同窓会館の玄関付近に椿にも似たような赤い花が今日は色鮮やかに美しく見えました。
“こんな冷たい雪の中で、よく咲いてるなあ” と思いつつ、花の名前を調べてみました。 『山茶花(サザンカ)』
冬に開花するツバキ科の常緑低木で、花言葉は「困難に打ち克つ」「ひたむきさ」とありました。何でもサザンカは江戸時代に長崎・出島のオランダ商館からヨーロッパに伝わり、和名がそのまま学名(Camellia sasanqua)になったそうです。山茶花は「山」「茶」「花」と書きますが、「山に生えているお茶の花」という意味があり、新芽をお茶にすることができ、甘くて、とてもよい香りがするそうです。(3月9日)
全校生徒に同窓会事業を説明しました。
一般財団法人長商会並びに長商同窓会の表彰に引き続き、卒業学年に向けて同窓会の事業説明と年会費の納入について話をしました。
昨年9月に行った「座談会」の出席者から、在校生に同窓会事業の話をすべきという提言を受け、全校生徒が集まるこの機会に行いました。教育活動支援やクラブ活動支援及び学校開校記念講師招聘、全国大会出場懸垂幕等は卒業生の年会費によって支援されている説明をしました。また、高76回の学年幹事5名を発表しました。(3月1日)
SALUTE サルーテ 乾杯!!
少し遅い新年会を同級生仲間と行った。イツメンのクラスメイトで、集まったのは男女各4名。普段は居酒屋や寿司屋に集まることが多いが、今回は趣向を変えてイタリアンの店にした。場所は長野市役所、長野市ふれあい福祉センターの横にある「リストランテ ナーヴァロ」。 このお店の代表は本郷善貴(長商65回)さんでIW100 2023年度ベストパスタ賞注目シェフに選ばれた名店だ。『イタリア料理と和のエッセンスとの出会い』をコンセプトにして、地元の食材を使ってる。名刺からソムリエの資格をお持ちのようだ。シェフから料理の特性や調理方法の説明を聞きながら、ゆっくりと料理とワインを味わった。コーヒーを飲み終えたときは既に2時間が過ぎていた。美味しい料理で会話が弾むいいひとときだった。(2月24日)
祝 女子ソフトボール部県外大会で優勝!!
3月の行事予定を聞きに職員室に入ったら、大きな優勝カップが飾られていた。賞状には「第27回天城ドームハイ高校女子ソフトボール大会優勝」とあった。日付が令和6年2月12日とあったので、静岡県の伊豆市まで遠征して勝ち取ってきたものらしい。早速、ホームページで大会を検索してみると、地元静岡県を始め、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、石川県、神奈川県等各県を代表する学校16校がエントリーしていた。
長商は初戦で昨年優勝した星城高校(愛知県)を5対2で撃破して波に乗り、予選リーグを1位で通過した。決勝トーナメントは打線の好調が続き、決勝で千葉英和高校を7対4で破り初優勝した。これまで全国大会では打線が繋がらず思うような結果が出せなかったが、今年のチームは打線がいいようである。3月15日から全国高校女子ソフトボール選抜大会が静岡県富士宮市で開催される。縁起のいい場所で念願のベスト8を勝ち取ってほしい。(2月21)
プレゼント抽選はこのように行いました。
令和5年度の年会費を12月末(1月自動払込者を含む)までに振込まれ、同窓会にメール登録された会員の中から抽選で15名の方に長商デパート限定ハローキティーフォルダーをお送りしました。
抽選方法はこのような手順で行いました。①メール登録(163名)された会員に番号を付ける。②年会費振込みの確認 ③該当者の番号をプリントアウトし、四角い形に切る。④番号を押しピンで突く。⑤15名の当選者になるまで繰り返す。突いて複数枚になった時は最初に突いた番号を当選とする。といった具合です。
江戸時代の富くじを突くような心持になりました。3年生の課題研究発表でメルカリについて発表したグループがありました。もしやと思い「長商デパート限定ハローキティ―」と検索してみたら、yahoo オークションで6,250円の値がついていました。(2月8日)
楽しむ気持ちを大切にして、伝統を繋ぐ。
先月行われた第15回全国高等学校ダンスドリル冬季大会で優勝に導いたチアリーディング部コーチの丸山さんにお話を聞くことができました。丸山(旧姓伊藤)さんは高70回(平成30年3月)の卒業で、チアリーディング部の中心的な存在で活躍されてきました。長商卒業後は東京の柔道整復師専門学校で3年間学ばれたあと、現在は株式会社N-ftにご勤務になっています。高校時代に練習でケガをした経験から、捻挫や骨折だけでなくスポーツトレーナーとして自分の経験を活かしたいということが柔道整復師専門学校に進まれた大きな理由のようです。東京で過ごされた時には、チアリーディング協会の依頼でインストラクターとして学生や成人を指導した経験をお持ちです。長商チアリーディング部には勤務の都合で月2~3回の指導ですが、「楽しむ」ことに心がけているそうです。全国大会での連続優勝については、「今までの練習を出しきることで、自ずと結果がついてくる。」と力強い言葉をいただきました。
チアリーディングの本場はアメリカ。毎年4月にフロリダ州ウォルトディズニーワールド内で世界規模のチアリーディングの祭典が開催されている。長商チアリーディング部PANTHERS(パンサーズ)はこれまでも日本代表として出場する権利があったようだが、渡航費用や日程の関係で一度も世界大会に出場していない。まだ見ぬ新しい世界を見せてあげられないものかと切に思う。(2月4日)
長商珠算部ここにあり!
来週9日から開催される北信越地区高等学校ビジネス計算競技大会に出場する珠算部の練習風景を見てきました。北校舎4階の簿記室が珠算部の練習場所ですが、一心不乱に打ち込んでいる姿が印象的でした。
顧問の小林先生が「願いましては、46億8173万・・・・、・・、・・、加えて・・・・、では。」と軽快な口調で読み上げ算をしていました。「億単位? え、何桁?」と指を折りながら桁を数えつつ、生徒の素早い指先の動きに圧倒されました。クラブ人数は6名とかつての珠算部とは大分異なりますが、10段級の生徒もいるようでかなりレベルは高いようです。左手を使っている生徒がいたので、最近は左手用の算盤もあるのかなと思ってよく見ると、電卓でした。6名中2名が算盤、4名が電卓を使っていました。これも時代の流れかなと思いつつも、かつての栄光は現在も立派に受け継がれていると実感しました。(2月2日)
第11回同期会の記録 「あれから50年」
高11回の大越利治さんが同窓会館にお越しになりました。大越さんはこれまで学年幹事として同期会の開催や物故者の整理を行ってきました。今回同期会の開催と物故者の慰霊準備のため、同期生の問い合わせに来られました。
高校11回は5年ごとに同期会を開催してきましたが、コロナの影響で開催が延期され10年ぶりに行う計画のようです。平成22年3月に発行した「あれから50年(高校11回同期会の記録)」を持参され、これまでの同期会の経過をお話になられました。第1回が昭和59年9月15日に善光寺大勧進萬善堂にて物故者慰霊法要をご遺族並びに恩師、同期生が集まり執り行われたとありました。また、長野バスターミナル会館で同期会が行われ、以来定期的に物故者慰霊法要と同期会を重ねています。持参された「あれから50年」を拝見させていただくと、お世話になった先生が何人もおられ、懐かしさが込みあげてきました。既に多くの恩師が物故者となられましたが、物故者の慰霊と同期会は可能な限り続けたいということでした。
長商同窓会は本部役員の他に学年幹事が選出されています。高校11回の学年幹事は6名で、なぜ他の学年より人数が多いのか疑問でした。冊子を読んで学年幹事が各クラスから選出されていることを知りました。今年3月に卒業する学年には各クラスから幹事の選出を依頼したいと思います。(1月31日)
都道府県対抗男子駅伝をみて。。
第29回全国都道府県対抗男子駅伝大会が1月21日(日)平和記念公園前(広島市)で開催され、長野県チームが3大会連続10回目の優勝を大会新記録で飾りました。県内外を問わず多くの長野県関係者はテレビをとおして結果を見守ったことと思います。長野県はなぜ駅伝が強いのかはさておき、12月の全国高校駅伝から始まり、正月の箱根駅伝、そして、都道府県対抗駅伝と大いに長野県人を熱くしてくれる駅伝は楽しみな行事です。今回も在広島信州県人会の皆様が登り旗をあげて街道やスタンドで大きな声援を送っていた様子が報道されていました。
長野県人会は主に首都圏を中心に組織されていますが、近畿長野県人会は都道府県対抗男子駅伝、全国高校駅伝、甲子園大会、全国高校ラグビー大会等で選手激励会や祝勝会等も行っています。長商野球部が甲子園出場した際は、関西支部や中京支部の皆様にも大変お世話になりました。今後長商同窓会支部活動が活発化していくことと思います。来る甲子園出場の際には、よろしくお願いいたします。(1月24日)
大谷翔平選手から贈られたグローブを見てきました。
大谷翔平選手が日本国内にある2万校すべての小学校にグローブを寄贈することを知った。どんなグローブか見たくて、小学校の知人に連絡し実物を見せてもらった。正面玄関にグローブと大谷選手の写真とメッセージが一緒に添えられていた。グローブは比較的柔らく、小指には大谷選手のサインが印刷されていた。メッセージには、「このグローブが私たちの次の世代に夢を与え、勇気づけるためのシンボルとなることを望んでいます・・・。」と書かれていた。
大谷選手の活躍で野球を始める子供がいることだろう。そして、世界の扉を開き、日本を飛び立つ若者が増えていくであろう。日本人であることの「誇り」と「勇気」を伝えてくれた大谷翔平選手と同時代にいることに感謝したい。(1月16日)
人生初の新年出初式でご挨拶
令和6年がスタートしました。新年を迎える頃になると思い出すことがあります。
平成22年11月、長野市主催の一日女性消防士体験に応募しました。長野市消防局において30メートルのはしご車に乗り、局内では地震体験をしました。そして長野駅で火災予防運動のビラ配りを行う等行事が盛りだくさんでした。その後、長野市から連絡があり、年明けに長野市民会館(現在の長野市芸術館)で行われる消防出初式で市民代表の挨拶『火災追放の誓い』をお願いしたいと依頼がありました。一瞬、そんな大役をどうしよう…と思いましたが、なかなか経験できることではないのでお受けしました。
新年を迎えた1月8日、消防出初式は300人を超える関係者が長野市民会館の客席にいました。心臓が飛び出そうなくらいの緊張。そして、いよいよ出番!マイクの前に立った瞬間、スーッと緊張がとけていったことを今でも覚えています。壇上においてライトアップされた中での挨拶は、何度か経験してきた結婚式でのスピーチより確実に気持ちのよいものでした。
あれから13年の時が経ちました。とても貴重な体験として心に残っています。(1月8日)
妻科神社で “ 必勝祈願 ” を行いました。
この時期としては暖かさが感じられる朝であったが、午前9時から妻科神社拝殿において監督、部長、野球部員、保護者、そして長商野球部OB会の役員の方々が一堂に介して野球部年頭の「必勝祈願」が行われた。宮司が祝詞を読み上げる中、一丸となって甲子園出場を祈った。年の初めに保護者やOB会役員が揃って必勝祈願を行う儀式は、野球部をおいて他のクラブでは見あたらない。それだけ甲子園出場は意味のある尊い価値を持っているということであろう。長野商業高校の甲子園の記録は、高校野球史(甲子園編)に掲載されている。そのデータによると「1925年(大正15年)春に甲子園初出場。初勝利は1931年夏。春夏通算11回の出場(夏8回、春3回)を果たしているが、2000年(平成12年)春からは甲子園から遠ざかっている。最高成績ベスト4。甲子園通算9勝」とある。名門長商といわれる所以である。2000年春の選抜大会は金子千尋投手を擁して山寺監督が指揮したチームである。学校創立100周年と重なったことは記憶に新しい。あの栄冠から20数年の月日が流れた。“古豪復活” ではなく、甲子園球場に“捲土重来”を期待したい。(1月6日)
今年一年ホームページをご覧いただきありがとうございました。良いお年をお迎えください。
今年一年を振り返ってみますと、同期会の開催準備や全国大会出場者への激励、座談会や長商デパート期間中の会館利用などこれまで以上に同窓会館をご利用いただきました。また、今年4月からは月・水・金と第2・第4土曜の午後に開館時間を変更し、会員の皆様には多少ご不便をおかけしましたが、ご理解をいただいて無事一年を過ごすことができました。卒業して初めて学校に来られた同窓生や在校生が同窓会館に訪れるなど、同窓会館がプラットホームとしての機能が徐々に定着しつつあるように思います。また、今年1月からのホームページ閲覧が7000件に達し、同窓生間の繋がりが広がりつつあるように感じています。年会費の協力や同窓会が果たす役割などまだまだ課題は多いですが、同窓生のお知恵とお力を拝借しながら半歩でも前進したいと思います。
明日から同窓会館が閉館となるので、今日の午前中に事務局の丸山さんと大掃除を2時間ほどかけて行いました。お昼は善光寺近くの「小菅亭」で少し早い年越しそばを食べて仕事納めとしました。今年一年ありがとうございました。新年度もよろしくお願いします。(12月25日)
ホームページアクセス数が7000件を超えました。 <感 謝>
今年の大きな目標にしていたホームページのアクセス数が7000件に達することができました。これも一重に同窓生の皆様が関心を寄せていただいた結果と深く感謝いたします。
この “7000” という数字は、ホームページアクセス数のカウントを始める以前の数字で、これを超えることを第一の目標としてきました。
インターネットが日常生活の一部になっている背景はありますが、DX(デジタル・トランスフォーメーション)を推進していく一助になると考えます。これからも “ 同窓生の 同窓生による 同窓生のためのホームページ ” により心がけていく所存です。同窓生の皆様がご参加いただけるコーナーは、「会員プラットホーム」「pick up リレー」「よろず相談」コーナーがあります。特に「よろず相談」は匿名による悩み相談を人生経験豊かな同窓生がアドバイスするというコーナーですので、奮ってご利用ください。また、Facebookやlineの活用も研究していきたいと思います。
ご意見やご要望などをお待ちしています。(12月22日)
遠い昔の思い出写真・・・・。
高16回の小林繁雄さんが同期会の報告とお礼に同窓会館に来られた。今年10月23日に7回目の高16回同期会が市内のホテルで行われ、参加した人は時間を忘れて学生時代の話に盛り上がったそうである。次回は3年後に行う予定である。小林さんとは同窓会館に来られたときに同期会の相談話をしたくらいで、高校時代の話を聞く機会がなかった。今回余談話で昔を懐かしんだが、結構楽しく学校生活を送っていたようである。昔話をしながら、小林さんがセピア色がかった白黒写真を見せてくれた。新潟に友達とスキーに行く列車の中での写真らしい。「きれいな人ですね。」と言ったら、そのいきさつを話してくれた。その写真のエピソードについては、次回の同窓会報51号に掲載します。
事務局では令和6年度の同窓会報に掲載する原稿を募集しています。
学生時代の思い出やエピソードを200字程度にまとめ、写真とともにお送りください。詳しくは同窓会報50号の事務局だよりをご覧ください。(12月19日)
「ふく」の美味しい季節となりました。
長野市権堂にふぐ料理の専門店「一心」がある。ふぐはそうたやすく食べられない高級魚なので、せめてふぐの話だけでも聞こうと一心に出かけた。店主は高津誠司(高43回)さんで、父親の跡を継いでいる。
父親は全国ふぐ連盟から「ふぐ調理技術指導員」を委嘱されるほどのふぐ調理の達人で、研修会や講習会の講師を務めた。「一心」とは一途にまっすぐ精進していくという意味を込めて父親がつけた店名である。
誠司さんは幼少の頃から父親の跡を継ぐつもりで、小学4年からひれ酒の仕込みを手伝っていた。最近は出荷元で内臓の腑分けをして送られてくるので以前ほど特別な免許がなくとも調理ができるようになったようである。一心で扱っているふぐは最高級の「とらふぐ」で、山口県下関から直送で送られてくるそうである。コース料理で6,500円から28,500円とかなり値段の開きがあるが、養殖ふぐと天然ふぐの違いらしい。
一心ではふぐとは言わず「ふく(福)」と呼んでいる。ふぐは大皿に盛りつける刺身(末広がり)や幸福(ふく)をよぶ縁起物として、お祝い事でふぐ料理を食べにくるお客さんもいるようだ。ふぐ料理は11月から2月くらいまでが旬なので、美味しい “ふく” を味わってほしいと勧められるままに6,500円のお手軽ふぐセットを予約した。(12月15日)
全国に名を轟かす長崎市立長崎商業高等学校
長崎商業高校を紹介します。長崎商業高校は240 人募集で、最近は女生徒の入学が多いそうです。卒業後の進路をみますと、大学、短大・専門学校、就職の比率は長野商業高校とほぼ同じです。校訓は「誠実 明朗 進取」で「人格の完成をめざし、教養豊かで有意な産業人の育成」を教育目標に28,000余名の卒業生を輩出しています。商業高校ですが、商業という枠にとらわれず「国際交流」や「情報」という分野にも力を入れています。野球、ソフトテニスなどクラブ活動が盛んで、特に女子ソフトボールは全国大会で優秀な成績を収めています。また、全商検定試験1級3種目以上の合格者は毎年100人超えで、中には全商検定9種目1級を取得する生徒もおり、文武両道を実践している学校です。
長崎商業高校同窓会はホームページやface bookを活用して情報発信や会員との交流を深めています。特に総会・懇親会では、参加チケット販売や抽選景品を会員から拠出してもらうなど様々な取組みを行っています。今後、情報交換をしながら参考にしていきたいと思います。(№2)
長崎市立長崎商業高校同窓会事務局と情報交換を始めました。
長崎県長崎市立長崎商業高校同窓会と事務局間で情報交換を始めました。長崎商業高校の略称は「長商(ちょうしょう)」で、長野商業高校と同じです。学校の略称を「長商」と書く高校は、他に新潟県立長岡商業高校と兵庫県立長田商業高校がありますが、長田商業高校の「長商」は “おさしょう” と呼びます。
ホームページを拝見しますと、長崎市立長崎商業高校は1885年(明治18年)に創立された九州で最も古い歴史ある商業高校で、長野商業高校より15年早く設立されていることがわかりました。送られてきたメールから、2年後に学校創立140周年を迎えるそうで、式典行事として「提灯行列」を行う予定だそうです。また同窓会事務局は、創立100周年記念事業で学校に寄贈した「広運館」の建物の中にあるということでした。長崎商業高校同窓会のホームページを見て最も関心をもったことは同窓会総会・懇親会に参加する人数の多さでした。令和5年度の総会・懇親会は11月2日に長崎市内のホテルで開催され、参加者は420余名とありました。(№1)
農業で地域の活性化に力を入れている徳永虎千代さんに話を伺いました。
2019年に10月の台風19号災害で被災した長野市赤沼でりんご栽培に情熱を注いでいる株式会社フルプロ 代表取締役 徳永虎千代(高63回)さんにお会いしました。徳永さんは長商を平成23年3月に卒業されたあと会社勤めをしましたが、父親が営むりんご農園を受け継ぐことを決意し、農業大学で学んだあと25歳で株式会社フルプロを立ち上げました。現在は長野市赤沼のほか10haの農園に10人の専属スタッフとともに忙しい日々を送っています。訪問してまず「虎千代」という名前についてお聞きしました。本人曰く、戦国時代において越後の虎と恐れられた上杉謙信の幼名「虎千代」にあやかってつけられた名前ということでした。また、フルプロはフルーツのプロを目指すことを信念に徳永さんがブランド名としたそうです。台風19号の災害時には畑や家が4m浸水したそうで、その時に全国から来てくれた100人以上のボランティアに助けられたことが大きな心の支えになっていると語ってくれました。現在力を入れていることは、生産効率が高く、初心者でも栽培しやすい高密植栽培に取り組んでいるそうです。また、将来農業を目指す学生を農業体験に毎年50人以上受け入れているそうです。
今年は夏の異常気象や遅霜の影響でりんごの収穫は例年の半分以下に落ち込んで苦慮しているということですが、これからも若い力で未来の農業を切り拓いてほしいと思います。(12月6日)
令和5年度野球部キャプテン 宮川優太さんと話をしました。
3年野球部キャプテンの宮川優太さんにクラブ活動を振り返ってもらいました。宮川さんは小学校3年から西寺尾ライオンズで野球を始め、中学校では千曲ボーイズに所属し、ずっとショート(守備)でやってきたそうです。長商に入学したのは前野球部監督に勧められたのが理由のようですが、長商入学後も3年間ずっと野球のことを考えながら生活していたそうです。話を聞いていて驚いたことがありました。それは野球部キャプテンの選出です。長商野球部は監督からの指名ではなく、クラブ仲間(マネージャーを含めて)の立候補・互選で選ばれるそうです。それも、1年キャプテン、2年キャプテン、3年キャプテンと学年ごとに選出されるそうで、宮川さんは2年と3年のときにキャプテンに選出されました。キャプテンになった時は自分のプレイでチームをまとめようと意気込んだそうですが、そのプレイが思うような結果がでずに悩んだ時期もあったとか。高校3年間での一番の思い出は最後の夏の大会でソロホームランを打ったこと。長商卒業後は足利大学(栃木県)で野球を続けるそうですが、将来はプロ野球選手になる夢を持っています。弟さんも高校球児で、なんと!春の選抜高校野球で全国優勝した山梨学院高校の野球部員だそうです。来年2月早々には大学野球部の寮に引っ越す予定で、今は大学野球についていく身体づくりに励んでいる宮川優太さんでした。(12月1日)
高野 登 様の講演を聞いてきました。
長野市保健福祉課が主催する「やさしいお店 タウンミーティング」に高野 登(高24回)さんが基調講演をするということで行ってきた。
高野さんは長商同窓会ホームページ「活躍する同窓生」にも掲載させていただいているが、人とホスピタリティー研究所代表で、元ザ・リッツ・カートン・ホテル日本支社長を務めた人だ。学校創立記念日では何回も講演をお願いしており、同窓会副会長を務めている。30年以上ホテル業界に携わってきた経験から人材育成の講演や研修など全国各地でご活躍になっている。今回福祉関係者や観光業に携わる人が集まったが、予備席を設けるほど盛況であった。講演内容は人とのつながりの大切さを具体例をあげながらお話された。講演時間は45分の予定であったが、主催者から延長の打診があり予定時間を大幅に超えての講演となった。講演を聞いてうなずく内容が多々あったが、「仕事の報酬とは次の仕事を得ること」という言葉が新鮮に感じられた。高野さんは毎朝行ってるルーティンがある。それは、ベランダに出て「今日も最高の一日になる」と3回唱えるそうである。そして、自分の存在が何を幸せにしているんだろうと考えてみるそうである。 “ 一日の始まりは朝ごはんから ” しか知らない自分には、高野さんの人間的スケールの大きさに格の違いを感じた日だった。(11月24日)
野球部OB戦・・・3年生への感謝と後輩に夢を託して
今日は勤労感謝の日。以前は新嘗祭という祭日であったが、戦後は勤労を尊び、生産を祝う祝日に変わったらしい。あまり意識したことのない祝日であるが、天気がよかったので長商野球部OB戦を見に行った。OB戦といっても、3年生と1・2年合同チームのファイナルゲームだ。
既に、試合は4回まで進んでいたが、保護者がぐるりと球場を囲み、熱いプレイに大きな拍手を送っていた。このOB戦は恒例行事で毎年12月上旬に行われているが、今年はスケジュールの関係で早まったそうだ。3年生にとっては最後の試合となる。今年の3年生は10名(マネージャー3名)と例年より人数が少ないが、チームワークがよいのが特徴だったらしい。3年生は卒業後の進路も決まったようで明るい雰囲気だった。上級生への感謝や下級生に自分たちの思いを試合で伝えるところが実に野球部らしい。試合後は保護者が作った“豚汁”で3年生の労をねぎらうようだ。豚肉は4㎏用意したという。卒業後、豚汁を見れば、この日のことを思い出すことだろう。野球で培った知力・体力・気力をこれからの人生に活かしてほしい。そして、保護者の皆様、3年間お疲れさまでした。(11月23日)
自叙伝 “我が人生に悔いなし” 伊藤澄夫
東京都在住の伊藤澄夫(旧姓 月岡)様が同窓会館にお越しになりました。時々長野に来られているということですが、卒業後初めて母校を訪れたそうです。
伊藤様は高13回ですので、昭和36年3月の卒業になります。既に傘寿のお歳になりますが、話の受け答えや足取りがしっかりされ、若々しさを感じました。現在の長野商業高校は女生徒が7割近くなっていることや就職者が3割程度になっていることなど、時代の隔世を感じておられるようでした。当時は男子校(女生徒は学年に10数人)だったので、荒くれ者がいたり、真面目で優秀な生徒がいたりと正に玉石混淆だったという話をしてくれました。
伊藤様は長商卒業後、慶応大学法学部に進学され、大和生命保険会社に入社されました。自分の会社を経営したいという夢から婿養子となり、義父の印刷会社を受け継いだそうです。その後は、印刷会社(シンソー)や貸ビル業の事業を拡大し、社長を3期、会長を2期務め74歳になったのを機に現職からリタイアしたそうです。現在は、最愛の奥様や子供や孫に囲まれて、幸せな日々を送っておられる様子でした。(11月20日)
追伸
伊藤様には、学校創立120周年記念事業で多額の寄付をしていただきました。
また、自叙伝 “我が人生に悔いなし”(令和5年10月6日発行)を寄贈していただきました。
初雪や ああ初雪や 初雪や
今日は日曜日。久しぶりに朝寝坊をして、玄関に新聞を取りに行ったら、庭のあちこちに雪が積もっていた。既に日が高くなり始めていたので、雪は所々でしか残っていなかったが、夜半から朝方にかけて降ったようだ。思えば、11月半ばを過ぎている。いつ雪が降ってもおかしくはない。“年末は雪が降らないのではないか”と思わせるほど陽気な日が続いた。毎年12月上旬にスノータイヤに履き替える予約をしているので、先日、車の点検に併せてディーラーに立ち寄った。「今年は暖かいから、暇でしょ。」と投げかけたら、「逆です。お客様は今年は雪が早く降るといって、例年より早い予約で動いています。」と言われた。半信半疑で聞いていたが、雪を目の当たりにするとまんざらでもなさそうである。長野市は昨シーズンより2週間早い初雪観測であったらしい。
これから日増しに寒くなり、冬対策に追われる日を迎える。冬身支度よし、灯油よし、電気カーペットよし、長靴よし、スノーショベルよし、庭の片付けよし・・・。後は、タイヤ交換のみ。(11月19日)
常に発言と身だしなみに気をつけました。
「こんにちは。失礼します!」と透き通る声で同窓会館に来てくれた長商デパート代表取締役社長の奥野琉妃さん。ハキハキと礼儀正しく、さすがデパート社長さんでした。今年の長商デパートは99回目を迎え4年ぶりの一般開催となりました。奥野さんは2年生の時に取締役に立候補してから、3年生になり社長に就任。長商デパートでやりたいことを考えていた2年生の時はとても楽しかったそうですが、人との関係で悩んだ時期がありました。また、デパートを成功させて来年に繋げていかなければならないというプレッシャーにくじけそうになった時もあり、クラスの友達に助けられて乗り越えたそうです。
一番気を使ったことは何ですか?と質問すると「長商デパートの社長は学校の顔になるので、どこに出ても恥ずかしくないよう常に発言と服装や身だしなみに気をつけて生活をしていました。」と。「伝統ある長商なので来年100回目を盛り上げてほしいです!」とインタビューを終えました。
奥野さんのキラキラした目と笑顔あふれる姿に、長商デパートを無事に終えた達成感を強く感じました。卒業後は専門学校に進学し、声優を目指すのだそうです。彼女の透き通る声が、いつか多くの人達に喜ばれることを心から願っています。(11月17日)
同窓会館の紅葉を楽しんでいます。
季節外れの暖かな陽気が連日のニュースで話題になっています。先日、初冠雪の志賀高原に行き、雪に触れてきました。一日で夏・秋・冬と、3シーズンを味わう、人生初の体験をしました。
同窓会館の窓越しに見える紅葉は何とも素敵で風情があります。思わず仕事の手を休め、カーテンを開けて外を眺めました。その時間はわずかですが、あまりに綺麗な光景でとても心地よく感じました。そんな景色もそろそろ終わりに近づいてきました。ちょうど一年前、同窓会事務局に来ました。同じ紅葉の時期であったはずですが、早々から仕事に追われて季節感など感じることなく過ぎました。
“去年もこんなに素敵な景色だったのかしら”
今年は真っ赤な紅葉がふと目にとまりました。この一年が思い出され、母校にきているのだなぁ…と、改めて感じさせてくれました。慌しく過ごす毎日ですが、一瞬だけ時がとまり、夢の世界に入ったような感覚でした。秋は寂しさを感じる時期だと言いますが、紅葉は心が和み、そして心を豊かにしてくれる気がします。(11月8日)
長商デパート大売出し 来客13000余人で賑わう。
長商デパート大売出しが無事終了し、ようやく学校に平穏な日常が戻ったようである。新型コロナウイルス感染症が拡大していた時期は来客数を制限して長商デパート大売出しを実施してきたが、今回は特に来客数の制限をせずに行った。天気もまずまずだったので、土日の混雑はかつての盛況を思い出させた。生徒数が1,000人を超えていたときは売り場数が多く、品数も豊富に揃い、見るだけでも楽しめた。現在は、生徒数が半減し、かつての雑貨売場、履物売場、電気売場、家具売場、名産品売場等は姿を消した。自家用車を販売した時期もあった。客層や来客のニーズも変化し、日用品より食品関係やスーパーに人が集まるようだ。
会計処理も算盤の時代から電卓との併用になり、30年ほど前にポスシステムが導入された。そして、今回からQRコードが使えるようになった。売場の生徒に聞いてみると、10人中4~5人はスマフォ決済を行ったそうである。また、メタバースを利用した新たな試みが始まるなど、時代の流れとともに長商デパート大売出しが進歩しているようだ。
同窓会館も4年振りにデパート期間中開館した。これまでは申し出のあった卒業生に卒業アルバムの閲覧を行ってきたが、今回は同窓生の協力を得て美術専門学校の学生に似顔絵描きや作品展示などの催し物を行った。来年は長商デパート大売出し100周年である。同窓会としても何らかの支援で協力していきたい。(11月2日)
仮想社会にご案内します。
今年の長商デパート大売出しは99回目となる。「歴史はながき 学舎に」と校歌にあるが、よくぞ絶え間なく続けてきたものだと感心する。今年のテーマは「ここまでやるかおもてなし」を揚げている。創業100周年に向けては、人が現実社会と仮想社会をいったりきたりするソサエティー5.0と呼ばれる社会における長商デパートの試行を今回行うようだ。その提案者が長商46回の小林正俊さん。小林さんは株式会社デジタル・メディア・ラボのNB営業部長をされている。長商デパート大売出しにあわせて来校し、同窓会にも挨拶に来てくれた。メタバースや仮想社会をスマフォを使って説明してくれたが、「すごい!」以外の言葉しかでてこない。ゲームそのものに縁のない自分にはマスコットがなぜ意のままに動くのか、どうして風景が変わっていくのか、不思議な世界に引き込まれていくのを感じた。長商デパート100周年では同窓会館を仮想社会に入れてくれるそうだ。楽しみに待ちたいと思う。(10月27日)
Clarinet Fascination Takahiro Denda
長商卒業後、商業の道ではなく他の分野で活躍している同窓生がいる。高20回の傳田高廣さんもその一人だ。高田さんのお名前はずっと以前から知っていたが、小諸高校音楽科の非常勤講師として長らく指導されていた。今年の同窓会総会後の懇親会の前に演奏を依頼したが、スケジュールが合わなかった。高20回というと昭和43年3月卒業になる。芸術家は生涯現役といわれるが、先日の10月13日に4年ぶりとなるクラリネットリサイタルがホクト文化ホールで行われた。
傳田さんは武蔵野音楽大学クラリネット科を卒業され、ドイツの国立ケルン音楽大学やバーゼル音楽院に入学するなど海外での生活も長く経験されている。現在はクラリネットリサイタルや音楽教室のほか、クラリネットの古楽器収集を行うなど幅広くご活躍になっている。今回「活躍する同窓生」への掲載をお願いし、快く寄稿していただきました。(10月26日)
愛馬と気持ちが通じ合えた時が一番嬉しいです。
かごしま国体馬術競技少年リレーで5位に入賞した小林咲心(2年)さんにお話を聞きました。小林さんのご実家が飯綱ライディングパーク(乗馬倶楽部)をされていて、馬が身近にいたこともあり、3歳の時には馬に乗っていたとか。お兄さんが馬術競技を行っていたこともあり、中学3年から本格的に馬術を始めたそうです。馬術は特殊な競技なのであまり大会がないのではと思っていましたが、馬術連盟主催の全日本大会や地区大会そして冠大会など週末には各地で大会が開催され、小林さんも馬のコンディションをみながら出場するそうです。練習は土日に明松寺馬事公苑(小川村)で泊まり込みで行うそうです。明松寺馬事公苑には全日本チームや大学の馬術部の人たちが練習に来るので、大変参考になるということでした。
かごしま国体には、愛馬(セリーノ)を馬運車という馬を運ぶ専用車で神戸まで移動し、そこから船で鹿児島に入ったそうです。大会では愛馬の調子が悪く、他の馬で競技をしたそうですが、国体5位入賞という立派な成績を収めました。次の目標は、来年の国体で愛馬セリーノと一緒に今年以上の成績を残すことだそうです。
これからの活躍を楽しみにしたいと思います。(10月18日)
あれから50年
同窓会館には郵便受けポストがないので、昼時間に事務室に取りに行っている。玄関の階段を上がると、令和6年度生徒会役員候補のポスターが貼られていた。「あ~、もうそんな時期か」と思いつつ、ちょうど50年前に自分が生徒会長に立候補したことを思い出した。当時は2年からクラス類型(HRは入学時のクラス)で授業をしていたので、推薦人は同じ類型のS君に依頼した。S君は人前に出て笑わすのが得意であった。授業前に教科担当の先生のものまねをしては先生に怒られた。そんな彼が応援演説をしてくれたので、投票結果はトップになった。しかし、その時は6人が生徒会長に立候補したので、票が割れて上位2名による決選投票になった。結果的に次点になったが、内心ほっとしたことを覚えている。青春の思い出づくりくらいの気持ちで生徒会長に立候補したと思うが、その後の経験が自分の進路選択に大きく影響したように思う。今回生徒会役員に選出された5人は全員信任されたようだ。新たに選出された生徒会役員の皆さんは誰もが経験できるものではないので、多くのことを学んでこれからの自分に活かしてほしいと思う。(10月13日)
酒は長野市の幻舞、上田市の信州亀齢、山形の十四代、福井の黒龍が好きですね。
春海亭は権堂「やま茶屋」の道路を挟んだ通りにある。初めて行ったとき「春海亭」の名前が気になったが、今回岡田さんから聞くことができた。岡田さん曰く、自分の好きな春と海を使って付けた名前だとか。岡田さんは人と接して話すことが好きで、カウンターのある小さなお店を持つことが夢だったそうです。長商卒業後に食材の会社に5年ほど勤務し、その後飲食店の現場で5年働いたあとに念願の店を持つことができたそうです。岡田さんは大の酒好きで「唎酒師呼称資格認定証」という資格をお持ちです。春海亭のこだわりは純米から作った日本酒。店には40種以上ある酒を季節にあわせて出しているそうです。休日、祝日と年末年始の2日間以外は店を開いているというから驚きです。1991年に創業して30年以上になり、多くのお客様のお陰でここまで営業させていただいたことに感謝しているとのことです。物価が高騰している中ですが、安価な価格でランチが提供できるように頑張るとも。長野市柔道連盟の指導員として、週2回長野武徳殿で子供たちに柔道を指導している岡田さん。こんな立派な後輩がいて嬉しく感じました。(№2)
美味いですよう~~春海亭の “さば味噌煮定食”
夕方のテレビを見ていたら、長野県庁の食堂で「さば味噌定食 (800円)」を期間限定で提供しているニュースを聞いた。福島県の漁業関係者を応援しようと県が企画し、それを食した知事が感想を述べていた。(信州産味噌をアピールするところがトップセールスたる知事らしい)ニュースを見ていてがむしゃらに“さば味噌”が食べたくなった。
権堂のアーケードの入口付近に「春海亭(はるみてい)」という居酒屋がある。ご主人の岡田(高33回)さんは長商柔道部の後輩で、この地で32年と長きにわたって居酒屋を営んでいる。以前から昼に定食を出すことは知っていたが、行く機会がなかった。7年ほど前に県庁に通いだしてから、月に1~2回行くようになった。店に顔を出すと元気な声で迎えてくれる。注文はきまって「さば味噌煮定食」。さば味噌、冷奴、小鉢、漬物、みそ汁に多少大盛りのごはんが付いて580円。甘辛のみそ味が自分には丁度よいので、いつも同じメニューを頼んでいる。岡田さんには居酒屋を開くきっかけや名前の由来を聞いたことがなかったので、少し早い時間に店に行って話を聞いてみた。(№1)
大正10年3月卒業生諸君ヲ送ル記念トシテ
同窓会館の入口の扉は開けるようにしています。今年4月から月・水・金の午後の時間帯に開館するようになったので、事務所に人がいるかどうかが遠くからでもわかるように扉を開けています。入口の扉を開けていると、不思議なことに鳩の糞に悩まされなくなりました。毎日鳩の糞の片付けをしていたのがウソのようです。そして、扉を開けてよかったことは、生徒が訪れるようになったこと。暖房を使用する時期になるまでは、入口の扉は開けたいと思います。
小布施・「夢の家」の取締役会長の今井重人様が来られました。長商のOBではありませんが、父親の遺品を整理していたら、写真が出てきたということで、わざわざ届けに来ていただきました。父親のお名前は吉田一郎さんで第20回の卒業になります。明治37年のお生まれとお聞きしました。ご養子に入られ、姓が「今井」に変わられましたが、一郎さんは背が高かったことから陸上部で走り高跳びをされていたそうです。
写真の裏書きには「上高井會 卒業生諸君ヲ送ル記念トシテ」とありました。後書きから、高校1年の時に撮影したものと思われます。
同窓会館には各年度ごとの卒業アルバムがありますが、アルバムが欠落している年度も何冊かあります。大正、昭和、平成、令和と時代とともに学校が変遷しつつある中で、歴史的遺産となる写真の保存は大切にしたいと思います。(10月4日)
長商同窓会報50号の編集作業が大詰めを迎えています。
今年11月に発行予定の長商同窓会報の編集作業が大詰めを迎えています。今回で50号になります。昭和52年10月にタブロイド判の見開き4ページでスタートし、昭和62年にB5判8ページになり、そして、平成10年より現在のA4サイズになりました。カラー刷りになったのは平成23年まで遡ります。発行当初は学校の様子や会員の近況を伝える情報誌としてお届けしてきました。しかし、近年のインターネットの拡大やSNSの普及により、日本国内だけではなく世界の出来事が瞬時に手元に届く時代となり、情報伝達の方法が大きく変容しつつあります。
長商同窓会から会員の皆様への伝達方法は大きく分けて2つあります。一つはホームページです。日常的な出来事をお知らせしています。2つ目は同窓会報です。学校の教育活動や会員の情報などを掘り下げてお伝えしています。これからも、それぞれの特色を活かして、会員の皆様に情報をお届けします。(9月27日)
ジベタリアンは存在していた!!
昼休み時間に昼食風景を撮ろうとカメラをもって同窓会館を出たら、思わぬ光景が目に入った。地べたに座りこんでお弁当を食べているのである。 “ジベタリアン”
以前はコンビニや歩道橋の階段に座り込んでいる若者の姿を指してそう呼んでいた。ウキペディアで調べたら1997年頃から使われだした言葉で、現在は死語になっているようだ。真夏ならともかく、そろそろ地面の冷たさを感じる季節である。自分等の頃はHR教室で静かに黒板に向かって新聞を広げながら黙々と弁当を食べていた。(弁当は教室で食べるものだと思っていた。) 先生も気にならないのか、黙認しているのかはわからないが、あまり格好のいいものではないと感じた。せめて、ベンチに座ってほしいと思いつつも、ベンチの数が十分でないようだ。
ジベタリアンの中には段ボールやウレタンマットを敷いたり、パソコンやスマートフォンを見たりとそれなりに工夫して自分たちの時間を楽しんでいる。現在は食堂がなくなり、昼食を摂る場所がないのも一因なのかもしれない。そう言えば、№42で紹介した女生徒が、「ここで、お昼食べてもいいですか?」と言っていたことを思い出した。(9月21日)
第17回卒同期会60周年記念「喜寿を祝う会」の準備が行われました。
高校17回卒業の「喜寿を祝う会」の準備にクラス幹事の皆様11名が同窓会館に集まりました。定期的に同期会を行っている高校17回ですが、2016年の「古希記念同期会」以来の開催になります。今回の参加者は57名になるそうです。卒業35周年記念、卒業40周年記念、還暦記念、卒業50周年記念東京開催、古希記念、そして、卒業60周年記念「喜寿を祝う会」と節目、節目に同期会を継続的に開催してこられたのは高校17回同期生の皆様の結束力と幹事の皆様のご尽力の賜物と存じます。
次回は「傘寿」「米寿」となりますが、これからも益々実り豊かな人生を送っていただきたいと思います。(9月20日)
三代目の若大将はイケメンでした!
ブログ№52で紹介した株式会社 三平シート内装の武江 航(高59回)さんにお会いすることができました。現在、武江さんは副社長として仕事をされています。「三平」の由来は、創立者である武江一二の祖父の名前「武江三平」からきているようで、創業当時に初代林家三平が非常に人気があったことや、皆様に覚えてもらいやすいように「三平」という社名にしたそうです。航さんが物心がついたころには、祖父に連れられて仕事現場が遊び場になっていたようです。高校卒業後は暫く家を離れたいということで東京の大学(東洋大学)に進学し、アルバイト先で知り合った女性が奥様になったとか。既に、四代目もいるそうで、益々仕事に精が出る航さんでした。
PS:事務局の丸山さんが航さんをみるなり「イケメンですね」と一言。私の第一印象も「男前だねえ。」
航さんには、9月1日に行われた「座談会」メンバーとしてご参加いただきました。(9月12日)
ダンスドリル選手権大会CHEER部門10連覇達成!
全国高校ダンスドリル選手権大会チア部門で10連覇したチアリーディング部長の坂西さんとお話する機会がありました。坂西さんは4歳の時に母親に勧められてチアダンスを習い始めました。長商入学後はダンスに明け暮れる日々を送ったそうですが、一番困ったことは学校に練習場所がないことだったとか。月曜の休養日以外は、加茂小学校や学校近くの社会体育館、そして休日は県立長野大学の体育館を借りて練習してきたそうです。部長として心がけたことは、仲間とよく話し合うこと。
ダンスチームは音響係や振付け係などいくつものパートから構成されるので、チームのまとまりに心がけたそうです。
10連覇は通過点。チアリーディング部の更なる活躍を期待します。(9月5日)
テーマ「これからの同窓会を考える」の座談会を開催しました。
これからの長商同窓会について、校長先生や同窓生4名にお集まりいただき、座談会を行いました。少子化による卒業生の減少や若者世代の同窓会に対する意識などについて、ご自身の経験を踏まえて意見交換を行いました。校長先生からは長商デパートと卒業生との関りや同窓会による学校への支援、そしてデジタル空間の中での新しい商業教育の可能性(メタバース)などが紹介され、大変興味深いお話でした。また、同窓生からは同窓会からの情報発信の工夫や卒業後の同期会の持ち方、同窓生とのネットワークづくりなど様々なご意見をいただきました。この座談会の内容は長商同窓会報50号に掲載します。(9月1日)
懸垂幕が新しくなりました。
全国大会出場を祝う懸垂幕。全国大会に初出場する2クラブと、特に傷みの激しい懸垂幕1本を新調した。この懸垂幕は長商同窓会が費用を負担している。懸垂幕は全国大会に出場する生徒への応援だけでなく、在校生や保護者及び来校される方々への大きなアピールになっている。この懸垂幕は一年中揚げているので、毎年全国大会に出場しているクラブの懸垂幕の傷みが目立ってきている。新しいものに替えたいのは山々だが、先立つものがないので予算が組めないのが現状だ。
懸垂幕はこれまで株式会社三平シート内装様にお願いしている。三平シート内装様は同窓会だけでなく、学校へも様々な面でご支援いただいている会社である。120周年記念会員名簿の広告掲載にもご協力いただいた。広告から、会長はじめ三代に渡って長商卒業生であることを知った。俄然興味が沸いた。特に、三代目の武江航(高59回)さんに話を聞きたくて、会社に行ってみた。あいにく航さんには会えなかったが、お母様が(息子を)同窓会館に行かせると取り次いでくれた。楽しみに待ちたいと思う。(8月2日)
事務局の丸山さんはこんな人です。
事務局の丸山さんをご紹介します。丸山さんには昨年11月から週2日同窓会業務をお願いしました。主な仕事は会計処理と庶務になりますが、ダブルワークになるので、無理のない範囲で来てもらいました。長らく介護関係のお仕事をされていますが、末の娘さんが今年4月から信大病院の看護師として勤務されたこともあり、現在は常勤でお願いしています。丸山さんとは妹(高43回)さんが柔道で活躍していたこともあり、卒業後も大会会場でよくお会いしていました。同窓会事務局はご縁ということになりますが、丸山さんは私にはない(欠落)部分を持っている人なので大変助かっています。まず、字がきれいなこと(書道3段)。計算が早いこと(珠算2段)。帳簿のことをよく知っていること(日商2級、会計事務所勤務)。そして、小学校では児童会長をしたというから驚きです。とにかく、すごい女性なのです!
介護は指導者としても経験が豊富で、今年の財団主催の教養講座に講師として予定しています。丸山さんのご家族は娘さんの看護師をはじめ家族全員が国家資格を持っているという珍しいご一家でもあります。
私と丸山さんの共通点は「掃除好き」というところ。だから、同窓会館のトイレや事務所内はいつも綺麗。毎日きもちよく仕事をさせてもらっています。(感謝)
事務局長の藤田さんはこんな人です。
実を言いますと、私が高校生当時の部活顧問の先生です。当時、長商に着任されて、私は3ヶ月足らずで引退。その短期間のことに記憶がないのですが、事務局長は膝を怪我した私にテーピングを巻いてくださったようです。
ご縁で昨年から同窓会の仕事をご一緒するようになりました。事務局長は大変スピーディーな方で、且つ、先を見て早めの行動をされます。『思いたったら即、行動!』よくおっしゃる言葉であり、私もそのタイプなのでとても気があいます。が、事務局長のスピードにはなかなか勝てません。常に準備万端で、私の仕事がスムーズに流れるよう、いつも配慮して頂いています。また、事務局長は発想力が豊かです。物ごとを当たり前に考えるのではなく『おもしろさ』に目を向けます。同窓会の仕事も工夫がたくさんありますので、ドキドキ、ワクワクです。
まだご紹介したいことはありますが、事務局長は卒業生の皆々様が「同窓会館に行ってみようかなぁ」と多くの方にお越し頂けることを心待ちにしています。皆さん、遊びにきてください。(丸山記)
総勢20名を束ねる姉御先生でした。
北海道総体2023に出場する女子ソフトボール部監督の伊東摩耶先生にインタビューしました。今回で連続3回(長商19回目)のインターハイ出場になります。伊東先生は長野市のご出身ですが、石川県立門前高校に進学されました。今でいう国内留学になります。高校3年生のインターハイにはピッチャーとして出場し、ベスト8まで勝ち進んだそうです。
石川県立門前高校を調べてみると、女子ソフトボールの名門校であることがわかりました。特に、50年と長きにわたり門前高校を指導してきた室谷妙子先生は数少ない女性指導者として全国に名前が知られた先生です。全国大会出場59回、北信越大会優勝は数えきれず、全国選抜大会準優勝2回、3位2回と実績を残されています。室谷先生は「選手の前に、人としてどうあるべきか」を信念に指導してきたそうです。そんな室谷先生と寝食を共にしてきた伊東先生は、練習だけでなく、日常生活の指導にも活かされていることと思います。
今回のインターハイでの目標はベスト8。7月26日に長野を出発し、フェリーを使って北海道入りするそうです。規律と礼節を重んじる女子ソフトボール部。一致団結して3回戦を突破し、新しい景色をみてきてほしいと思います。(7月22日)
全国大会出場激励会を同窓会館で行いました。
全国大会に出場する文科系クラブ(珠算部、ワープロ部、簿記部、情報処理部)の激励会を同窓会館で行いました。各クラブの代表者と顧問の先生が集まり、三澤校長先生から激励の言葉と大会出場補助金が手渡されました。全国大会に出場するクラブ員一人ひとりから全国大会での抱負を語ってもらいました。
例年校長室で行っていた激励会を今回同窓会館で行いました。参加生徒全員が同窓会館に入るのが初めてで、少し緊張した様子でした。近くて遠い同窓会。在校生徒にとって同窓会が身近な存在に感じられる取り組みや同窓会活動を知ってもらう必要性を感じました。
運動系クラブは7月24日(月)に同様の激励会を同窓会館で行う予定です。また、定時制は7月19日(水)に予定しています。(7月12日)
応援スタンドに あっぱれ!
第105回全国高校野球選手権大会長野大会が始まった。初戦は田川高校と対戦し、18対0の5回コールドで勝利した。18点の大量得点は記録を遡ってもわからないのではないかと思われる大記録だ。
チームの応援は攻撃の時だけと決められている。普段はあまり耳に入らないスタンドからの部員の応援が、今日はグラウンドによく響いた。強豪校の学校は初戦からブラスバンドが加わり、観客にも楽しんでもらえる曲が流れる。ついその曲にのせられてしまうわけでもないが、そのチームを応援したくなるから不思議だ。正直、これまでブラスバンドのない長商の応援に物足りなさを感じていた。しかし、今日は違った。
長商の攻撃時間が長かったので、じっくりと応援パフォーマンスをみることができた。初回の攻撃が始まる時は、静寂に包まれた雰囲気の中で応援部員による「凱歌」がグラウンドに響き渡る。続いて、軽快な太鼓のリズムにのって一糸乱れるパフォーマンスが始まる。パフォーマンスはメガホンと男子部員のダンスだけである。今日は攻撃時間が長かったこともあり、10分以上応援し続ける回が数回あった。先日、学校開校記念行事で和太鼓演奏を聴いた余韻が残っていたこともあり、太鼓の軽快なリズムと力強い音は選手を鼓舞し、応援している人の心を揺さぶる。
“これって、いけるんじゃないか!”
吹奏楽や応援団がなくとも十分長商らしさが演出できるのではないかと実感した。あとはアグレッシブさとコミカルさがでれば100点満点。
応援スタンドに “あっぱれ!”
先は長いから、のどのケアをしっかりやってください。(7月10日)
同級生の名前を確認しにきました。
ご年配の男性が来られた。高校9回(昭和32年3月卒業)の清水さんで、同級生の顔写真をみて名前を確認するために篠ノ井から自家用車できたという。(来られた日が開館日でよかったと内心そう思った。)
2階に案内し、卒業アルバムを用意した。学生時代は化学・物理クラブに入っていて、川や池で実験を繰り返したそうである。卒業後は東芝に就職し、何度か転勤を経験されたようだ。卒業アルバムを覗くとみな男子ばかりで、丸坊主であった。その点を清水さんにお聞きすると、女生徒は学年で30人くらいいたが、一つのクラスに集められていたとか。男子は3年間丸刈りで、バンカラな校風であったが楽しい学校生活を過ごされたようだ。卒業写真からは、みなさん凛々しい顔立ちながらも、眼光に鋭いものを感じた。同窓生には一代で日本のトップ企業にした方もおられるようだ。これから仲間を集めて、久しぶりに会うそうである。どんな話で盛り上がるのだろう。また、お出かけください。お待ちしています。(7月7日)
お久しぶりです! 岸田修一郎先生。
「藤田先生、岸田です。」と呼び止められた。今日は文化祭の最終日。部外者の出入りや生徒が校外に出ないように門番指導をしていた先生から声をかけられた。マスクをしていたので、名前を言われても誰なのかピンとこない。私が全日制に勤務していたのは平成4年から平成9年の6年間。その間、長商で共に過ごした同僚だとは思うのだが・・・。
マスクを外して顔を見せてくれとも言えず、会話の中で当時の記憶を探った。先生は平成7年から長商に勤務したというから、私とは3年重なっていたことになる。そのしゃべり方に特徴を感じたが、名前と顔が一致しない。この4月から再任用教員として23年ぶりに長商に戻ったという。20数年前の校長先生や同僚の話、活躍していた部活動などの昔話に花が咲いた。そして、全国大会に出場するクラブの懸垂幕の話に移った時に記憶が蘇った。 “簿記の岸田先生だ!”
当時は、女子柔道、女子ソフトボール、バドミントンがようやく全国大会に出場できるようになっていたが、それ以上に文科系クラブが活躍していた。珠算部、ワープロ部、コンピュータ部、そして、簿記部。特に簿記部は全国大会団体優勝の実績を持つ須坂商業高校(現在は須坂創成高校)が強くて長商は勝てなかった。その壁を破って県大会で団体初優勝に導いたのが岸田先生である。先生は商業科の教員としては短い5年間の在職ではあったが、簿記部の指導や長商デパートに力を注ぎこんだ熱血先生である。ブログに載せたいから写真を撮らせてもらいたいとお願いしたら、自らマスクをとって写真を撮らせてくれた。また、お会いできて嬉しかったです。(7月6日)
野球部激励会、開催される。
夏の選手権大会激励会が行われると聞いて、出かけてみた。午後5時から予定されていたが、既に選手・マネージャー52人のほか監督、部長、コーチや保護者がグラウンドに整列していた。グラウンドから「雲はわき 光あふれて・・・」の曲が流れると、3年生9名とマネージャー3名が隊を組んで入場してきた。内野を一周して1・2年生の前に横一列に並んだ。3年生にとってはこの選手権大会が最後になる。3年生の労いを兼ねているようにも思えた。最初に、岩本部長の挨拶があり、次に保護者会の小山会長から激励の言葉があった。続いて、3年生一人ひとりがこれまでお世話になったことへの感謝と大会への意気込みを力強く語った。3年生9名は長商にしては少ないように思えるが、選手権大会出場72校中5チームが合同連合チームを考えれば、最後までやり抜いた部員数としては多いのかもしれない。
保護者会から必勝祈願の折り鶴が贈られた。また、マネージャーからは選手全員と監督、部長、コーチに手作りのお守りが手渡された。このお守りを作るためにどのくらいの時間をかけたのだろう。いろいろな思いや願いが込められたお守りは、選手にとって一生の宝物となるはずだ。
夏の大会は予想という言葉は存在しない。想像を超えた熱闘を期待したい。(7月2日)
今日できないことは、明日できるか。
今年度から長商同窓会の副幹事長としてご活躍いただく堀越倫世(高26回)さんの事務所に訪問しました。何度か電話でアポ取りをしましたが、大変お忙しくされていて今日の午後5時にようやくお会いすることができました。堀越さんは長野県経営者協会の副会長に就任されましたので、事務所以外の業務で会合に出かけることも多くなったようです。
堀越さんは税理士のほかに司法書士としての肩書をお持ちですが、ご自身のホームページを拝見しますと、環境問題にもかなり強い関心をもっておられます。
事務所に入ると、まず驚いたことはスタッフの多さです。12名の男女が同じフロアでお仕事をされています。内3名は長商出身者ということでした。堀越さんの祖父や父親も税理士のお仕事をされていたので、中学2年生の時には将来税理士になることを決めていたそうです。長商卒業後は、税理士になるために数年間東京の学校に通われたそうです。かなりハードな勉強を自分に課したということでした。東京で下宿されていた時は、専門用語を暗記するために銭湯の壁面にメモを貼って覚えたというエピソードを話してくれました。その時に大事にしていたことは「今日できないことは、明日できるか」ということ。自分に言い聞かせて猛勉強の末、25歳の若さで税理士試験に合格したそうです。
同窓会ホームページ「活躍する同窓生」への寄稿をお願いしていますが、まだ先になりそうです。これから、長商同窓会発展のためにお力添えをいただきますが、よろしくお願いします。(6月29日)
こん にち わ~~~。
昼休み時間に同窓会館に顔を出してくれました。玄関の扉が開いていたので、入ってみようと思い立ったらしい。(一人ではこなかったかも・・。)聞いてみると同じクラスの1年生。いつも昼食は外で一緒に食べている仲間だとか。学校の敷地内にポツンと洋風の建物があるので、前から気になっていたようだ。折角訪ねてきてくれたので、学校生活のことをいくつか聞いてみた。「学校楽しい?」「担任の先生は怖い?」「何のクラブ入っているの?」などなど。学校は楽しいようだ。担任は女性の先生で、みな口をそろえて「めちゃ、いい先生」と答えてくれた。クラブはチィアリーディングが二人、あとはソフトボールとバドミントン。みな長商を代表するクラブに所属している将来楽しみな女生徒たち。夏休みには全国大会に行くとかで、今からワクワクしている様子でした。また、遊びに来てね~~~。(6月28日)
旋風を巻き起こせ!! 長商健児よ。
第105回全国高校野球選手権記念長野大会の組み合わせ抽選会が県総合教育センター(塩尻市)で行われた。長野商業高校は春の県大会を制した上田西高校と同じブロック。順調に勝ち進めば、3回戦で対戦する。昨年夏の選手権大会は4回戦で対戦し,11対1の大敗を喫している。
上田西高校は甲子園大会出場を宣言し、チーム一丸となっているところが大きな強みである。4月に上田西高校と練習試合をしているので、データをもとに綿密なプランをもって試合に臨んでほしい。
夏の高校野球はドラマチックである。勝利の女神は無心に白球を追いかける高校球児のファンのようである。勝機はどのチームにもある。
いざ、長商球児よ、“激攻鉄守” 日本一を実行するときがきた。一戦ごとに力をつけ、長商旋風を巻き起こしてほしい。(6月24日)
アメ ノチ ハレ
学校開校記念行事に和太鼓奏者の小林辰哉(高46回)さんをお招きしました。辰哉さんは木島平村のご出身で、高校時代は野球部で活躍していました。実は、辰哉さんの担任は私でした。偶然が重なり、今回学校開校記念に来るようになりましたが、話が長くなるので割愛します。
「コラ、辰哉! 勉強もせんで。野球ばっかりやって、何やってんだ。」というのが私の口癖だったようです。本人からすれば、野球をやりに長商に来ているようなものでしたから、あまり気にも留めなかったようです。進路も未定のまま、卒業式の翌日にはアメリカ行きの切符を手に一人サンフランシスコへ。あれから、30年の歳月が流れました。
和太鼓でいうと、辰哉さんのお父さんは「鬼島太鼓」の創設者で、何度も日本一になっている有名な方です。そのDNAを受け継いでいるのですから、辰哉さんが和太鼓のプロ奏者になったと聞いても不思議なことではありませんでした。You tubeで検索すると、GONNA(ガナ)を結成し、マリンバとのアンサンブルという独特のスタイルで名古屋を拠点に活動しています。21日の夜にクラス仲間を誘って会食しました。
卒業アルバムをもっていったので、互いに記憶をたどりながら話をすることができました。「自分探し」を永遠のテーマにしているとかで、アメリカに渡ったのもそこに理由があったようです。今は、「アメノチハレ」をイメージした短編小説的な曲を作っているそうです。当日の演奏会でも45分間にも及ぶ独演を行いました。
~~長く雨が続いている。真っ黒な雲は動く気配がない。しかし、雲は少しずつ動き始める。晴れに向かって~~
曲づくりでは、その中にどのようなイメージが込められるかをテーマにしているとも聞きました。90分間休憩なしの演奏でしたが、エネルギッシュなパフォーマンスに会場から大きな拍手が沸きました。
辰哉さんの和太鼓演奏ライブについては、同窓会ホームページ「会員プラットホーム」でもご紹介します。(6月22日)
歴史の1ページを開いた小山智之先生。
バドミントン部男子の快挙が止まらない。今年3月の全国高校選抜バドミントン大会で男子団体ベスト8に続き、春季北信越高校バドミントン大会男子団体の部で長野県初となる団体優勝を勝ち取った。これまで北信越高校バドミントン大会は富山県や福井県が常勝県であったが、ついに長野県が北信越大会の頂点に立つ時が来た。このような日が来ることを誰が想像できたであろうか?
北信越5県の中では長野県の競技レベルは全般的に低い種目が多い。男子バレーボールや女子テニスなど一部の競技を除き、多くが4番手か5番手が定位置である。近年では、長野商業高校女子剣道部が北信越大会で団体優勝しているが、その共通点は優秀な指導者にある。バドミントン部顧問の小山智之先生に長商同窓会懇親会のスペシャルゲストとしてご挨拶をいただいた。指導方法についても語ってくれたが、「生徒にやりすぎない。八分くらいでやめておく。」という独自の理論が生徒の自主性を引き出すコツらしい。
いよいよ次は団体ベスト4を目指すインターハイ。選手には監督の胴上げで有終の美を飾ってほしい。(6月18日)
僕たちの頃よりクラス仲がいいですね。
5月29日から教育実習に来ている伊藤 翼さんに話を聞きました。
伊藤さんは千葉商科大学4年生で、教員免許を取るために3週間母校で先生になるための勉強をしています。高校時代はバレーボールに熱中し、高校3年の時には地区大会準優勝、県大会でベスト4になったそうです。高校時代はあまり学習の成績はよくなかったと謙遜しながら話をしてくれましたが、在学中に日商2級を取得したというからなかなかのものです。好きな言葉は「努力」。教育実習が終わったら、7月上旬の教員採用試験に向けて猛勉強に打ち込む予定とか。
長野県の高校教員で活躍している長商出身者は約40名ほどいます。
先輩たちは一日も早く仲間になってくれることを願っているはず。
頑張れ、翼!!(6月14日)
これが、私です。
令和5年度長商同窓会総会をホテル国際21で行いました。新型コロナウイルス感染症により4年ぶりの開催となりましたが、44名の会員の皆様のご出席をいただいた中での総会となりました。5月8日から新型コロナウイルス感染症が流行性インフルエンザと同じ2類から5類に引き下げられましたが、新型コロナウイルス感染症が終息していない状況や感染拡大防止を考慮し、今年度の長商同窓会総会は出欠確認のできる役員、学年幹事、同窓会年会費(4年度)を納めた方々に案内状をお送りした中での総会となりました。
総会を始める前にこの3年間にお亡くなりになりました物故者の会員に黙祷を捧げました。これまで長商同窓会総会は6月の第2金曜に行っていましたが、遠方より来られる会員や総会に出席しやすい曜日ということで土曜に変更してからは初めての開催となります。総会では令和4年度事業報告・決算報告、令和5年度事業計画案、予算案及び役員の変更が審議されましたが、無事議案がとおり安堵しています。
昨年5月から長商同窓会事務局にお世話になり、ようやく1年が経ちました。同窓会館に来られる会員の方はまだ少ないので、直接お話する機会はありませんでしたが、これから同窓会館が会員の皆様のプラットホームになるようにしていきたいと思いますので、今後もよろしくお願いいたします。(6月10日)
巨星逝く。
高8回の一色博(白泉)さんがお亡くなりになったという訃報を新聞で知りました。書道界では第一人者として長らくご活躍された本校卒業生です。一色さんの同級にあたる柔道部の先輩から話を伺っていたので、「書家」を生業としている人がいるんだというのが最初の印象でした。学生時代は大人しい方のようでしたが、後に日本を代表する書家として一時代を築いた人は、長商出身者では前にも後にも表れない偉大な方だと思っています。直接お会いする機会はありませんでしたが、一色さんの「書道成人講座」に通っていた同僚をとおして、柔道着につける学校名「長商」という字を書いてほしいと頼んだことがあります。数日して、書道紙に数枚「長商」と書かれた字をいただきました。お礼にと心ばかりのお菓子を贈ったところ、墨字で書かれた手紙が届きました。一色さんは書家で有名な方でしたので、大変驚いたことを覚えています。県内で書道展が開催されると必ずと言ってよいほど一色さんの作品が展示されていました。その独特の書風は長商にも作品が残されています。インターハイに出場した時の写真を思い出し、掲載させていただきました。ご冥福をお祈り申し上げます。(6月8日)
お父さんも、お兄ちゃんも長商野球部でした。
野球部女子マネージャーの石坂さんが監督の用事で同窓会館に来てくれました。現在、野球部のマネージャーは3年生が3人、2年生1人、1年生が1人いるそうです。野球部のマネージャーになったきっかけは、お父さんも、お兄さんも長商野球部の出身で自然に野球部のマネージャーになっていたとか。マネージャーをしていて楽しいと思ったことは、公式試合に勝ったときと、選手のみんなから感謝されたときにマネージャーをやってきてよかったと思ったそうです。
高校卒業後は人や動物に関わる仕事に就けるように専門の学校に進学したいそうです。大切にしていることは「感謝を忘れない」こと。
「今度の大会が3年生最後の試合になるので、応援をお願いします。」というメッセージをいただきました。
メモ:「少し話を聞く時間ある?」と尋ねたら、「いいですよ。」といって事務所に入ってきた。入るや否や思い出したように玄関に戻って、自分の靴を揃えてから入り直した。そんなところにも人柄が表れているマネージャーさんでした。(6月6日)
勝つ秘訣は、仲間とのグ~タッチ!!
5月13日(土)14日(日)に長野運動公園弓道場で開催された春季北信高校総合体育大会弓道競技で見事に女子個人優勝を果たした丸山りなさんに話をお聞きました。丸山さんは他校の友達がやっていて面白そうだから弓道を始めたそうです。普段の練習は放課後の2時間程度ですが、土日は3時間のクラブ練習と2時間の自主練習を欠かさず行うそうです。弓道が上手になったのは、2年生の国体二次予選でとても悔しい思いをしたことがきっかけと語ってくれました。常にその悔しさを忘れることなく練習したので、北信越地区高校新人大会で個人2位という好成績に繋がったということでした。現在は副部長として部員40人を束ねながら、長商デパートの準備と忙しい日々を送っている丸山さんですが、高校卒業後も大学で弓道を続けるそうです。(5月30日)
長商校歌応援歌を聞きながら仕事をするのもいいもんです。
小会議室にある書棚の引き出しをみたら、「長商校歌応援歌集」のCDがあったので聞いてみた。校歌、凱歌、時軒昂は1年の応援練習で身体に染み込まされたので自然に口ずさんだ。不思議なことに、「いざ来たれ」「上野ケ原の若人が」など半世紀たった今でも頭の奥から歌詞が浮かんできた。CDは全19曲で編集されているが、知らない歌もかなりあった。英語校歌があることは知っていたが、聞くのは初めてだ。旧制長野女子商業学校校歌や敗歌まであった。このCDは長商創立100周年記念事業で作成されたものであるが、貴重な財産であると思った。
この1週間ずっと繰り返し、繰り返しCDを聞きながら仕事をした。また聞きたいと思ってはCDを流した。今ではPCの立ち上げと同じルーティンになっている。懐かしさ+エレジー・・・。同窓会懇親会の参加者に喜んでもらえそうだから、CDを持っていこうと決めた。そして、最後はやっぱり凱歌、校歌で〆ようと思う。(5月27日)
120周年記念事業で設置した「エアコン」が活躍しています。
今日は午前に授業公開、午後は育友会総会が行われました。ここにきて気温が30度を超える日があり、学校では熱中症予防対策にも注意が払われています。県からは公立高校のHR教室にエアコン設置を行いましたが、特別教室までは手が回っていません。同窓会では120周年記念事業で特別教室のほか、進路指導室、生徒指導室などに空調設備5台を設置し、生徒や先生方の学習環境を整えました。
今日は授業公開日ということで、生徒の学習している様子を参観しました。現在は1クラス40人規模ですが、教室内にはエアコンのほかWi-Fiやモニターが設置され、かつて生徒が1クラス45人以上いたころとはだいぶ教室内の環境も変わってきています。先生方もPCを使った授業が主流になり、時代の流れとともに授業方法も大きく変わってきている様子が伺えました。(5月20日)
同窓会館で「喜寿」のお祝いを計画してます。
高校17回の戸井田さんと宮崎さんが同期会の計画で同窓会館を利用されました。これまでコロナ禍で同窓会館を使用する同窓生は皆無でしたが、ようやくここにきて動きが出始め嬉しく思います。
高校17回の同窓生は今年「喜寿」を迎えるということで、10月頃に駅前のホテルで同期会を計画する予定です。
今年の4月から、同窓会館の開館日が月曜・水曜・金曜と第2・第4土曜の午後の時間となりました。また、2週間前予約で月・水・金の夜間(17時~20時)も使用できますので、同期会の打合せや会合等にご利用ください。詳しくは、「事務局からのおしらせ」ページをご覧ください。(5月10日)
你好! 歡迎來到長野商業高中
5月連休中に県外だけでなく多くの外国人が長野県の観光を楽しんだようだ。ようやく以前の生活に戻りつつある中で、台湾の高校生が長野商業高校の生徒と交流した。まだ、学校単位の訪日教育旅行ではないが、台湾新北市の高校から選出された職業系の学生(工業、商業、家庭、自動車等)22名と教員20名が4時間ほどの交流を楽しんだ。
歓迎セレモニーでは台湾の生徒が日本語で挨拶した。台湾では英語教育に力を入れているが、アニメの影響もあり第2外国語で日本語を選択する生徒も多い。時間が経つにつれ生徒の距離感が縮まるのを感じた。
スマフォを片手に翻訳機で会話が通じるとそのたびに歓声が沸く。お別れのセレモニーではライン交換をするのがお決まりになっている。言葉の壁はあっても国境を感じさせないのが今の若い世代だ。交流後に台湾の先生から「長商生はおもてなしに長けている」と感じたそうである。
長商デパートの経験値はここでも生きている。(5月9日)
北信地区屈指のカード、敗戦す。
長野日大との準決勝。日大に勝てば久しぶりの優勝旗も夢ではなかった。両チームともエラーがなく、引き締まった展開となった。長商の丸井君は9回まで完投し、キャッチャーの湯本君も盗塁を阻止するなど日大の攻撃をよく防いだ。あと一本出れば長商が勝った試合でもあった。しかし、それ以上に長野日大の青木投手はよかった。緩急をつけたボールに翻弄された。特に、直球は130km以上でコントロールがよく、ここはというところで138kmのスピードボールを投げ込んだ。長商打線は上昇傾向にあり、打線に期待したが好投手の前に涙を飲んだという結果だった。3位決定戦で悪い流れを断ち、県大会に繋げてほしい。
準決勝ということもあり、いつもより多くの観客が入っていた。特に、若い人の姿が目立った。そのような中で車椅子で観戦している長商OBを見かけた。高19回の山中さんである。山中さんは野球部OBではないが長商野球ファンで奥様に付き添われて応援に来ていた。お身体を壊してからは、オリスタのみの観戦になったということであるが、お元気な頃は毎試合長商の応援をしに野球場に足を運んだそうである。先日、「野球は勝ちましたか?」と千葉県我孫市にお住いの方から電話をいただいた。甲子園出場の道のりは険しいが、多くの長商野球ファンがいることを忘れることなく日々の練習に励んでほしい。(5月6日)
総会案内を送付しました。
令和5年度の長商同窓会総会案内を役員、学年幹事及び令和4年度年会費を納めていただいた会員の皆様に郵送しました。マスク着用が個人の判断になったことや新型コロナウイルス感染症がインフルエンザと同じ5類に引き下げられてことを受け4年ぶりに開催する予定です。
懇親会につきましては、新型コロナウイルス感染症が終息していないことや感染拡大防止を考慮し、ハガキで出欠確認できる方のみにさせていただきました。これから各支部でも総会や懇親会などの計画が進められることと思います。
今回初めて総会案内や出欠ハガキを作成しました。事務局内で準備をするので、どの程度時間がかかるか予想できませんでしたが、何とか一週間で準備することができました。封筒に貼られたラベルを見ながら封詰め作業を行いましたが、北は北海道から南は九州までと全国各地から母校長商のためにご支援をいただいていることに感謝の一言に尽きます。年会費を納めていただく方が減少し、学校や生徒の支援活動が十分できない状況にありますが、母校発展のための同窓会活動にご理解をいただきながら、年会費の協力をお願いしたいと思います。(4月29日)
長野マラソンを見てきました。
第25回長野マラソンが行われた。スタート場所が自宅近くなので、4年ぶりに行ってみた。既にスタート地点には多くの報道関係者や写真撮影をする人で込み合っていた。天気は快晴で、少し肌寒さを感じる。マラソンにはいいコンディションだ。マラソン大会は多くのランナーが一斉に走る姿を見る楽しさもあるが、ランナーのコスチュームを見る面白さもある。馬のぬいぐるみをかぶったり、頭にバルーンをつけたりと個性豊かに参加できるのも市民マラソンの醍醐味だ。しかし、今回はそのような姿をしたランナーは見当たらない。回数を重ねるごとに競技性が高まったのか、皆ランニングウエアで走っている。それでもと思い目を凝らしながら探したら、一人見つけることができた。全身白装束の白鳥姿で走っていた。思わず “いた!” と声を張り上げてしまった。10分ほどの時間ではあったが、来年も楽しみにしたいと思う。(4月23日)
春季高校野球北信地区予選の応援をお願いします。
新たに1年生15名の選手と2名の女子マネージャーが野球部に入部した。少子化やサッカー熱が高まる中で以前のような大所帯ではなくなったが、長商野球部ほど恵まれた環境で活動できる学校は少ない。まず、野球専用グラウンドを持っている。住民への騒音や打球がフェンスを越える心配はない。バックスクリーンまで111mもあるのだから。次に監督の存在だ。現在の山浦修(高41回)氏や前任の池田剛幸(高41回)氏は長商野球部OBで、実績や経験を十分積んでいる。三つめは長商野球部OB会や保護者会の支援体制が整っていることである。3拍子揃った学校は、公立高校では長野商業高校くらいであろう。また、現長野県高校野球連盟理事長は長商野球部長を務めた滝澤裕紀氏(高31回)である。
長商野球部が甲子園に行くためにはあと何が必要だろうか?
先日の日曜に上田西高校との練習試合がそれぞれの学校で行われた。
Aチームは上田西高校に行ったので、Bチームがホームグランドで試合を行った。以前は土手ファンが声援を送っていたがそれらしき人は見あたらない。また、公式戦でも観戦する長商OBの姿をあまり見かけなくなったように思う。長商OB・OGの応援は、選手のパフォーマンスをあげる原動力にはなるはずだ。4月29日(土)から春季北信越高校野球県大会北信地区予選が開幕する。家族や友人を誘って球場に出かけようではないか。(4月19日)
山田修平選手にインタビューしました。
先の全国高校選抜バドミントン大会で大活躍した山田修平さんにインタビューしました。前回19号で山田さんの写真を公開した時はまだ幼さが残るように見えましたが、実際に会ってみると肩幅が広く、がっちりとした体格でした。お姉さんの影響で5歳からバドミントンを始め、既に中学の全国大会で個人ベスト8に入っていたそうです。今回の全国選抜大会ではベスト4を目指して試合に臨み、見事にその目標を達成しました。大会直後に大阪で開催されたインターナショナル大会では日本代表として青森山田高校の選手とダブルスで出場しましたが、国際試合は韓国大会に引き続いて2回目になるそうです。高校卒業後は更に高みを目指して新たな環境でバドミントンを続けるとのことですが、小山監督からは「まずは同世代で一番になることだ」と激励されていました。
山田選手のウエアにはinternationalの文字がありました。今後の山田選手の活躍を楽しみにしたいと思います。(4月14日)
ゴー ゴー レッツ ゴー レッツ ゴー 山田 !!
学校の始まりはあいさつから
いよいよ本格的な学校生活が始まった。登校してくる1年生のブレザー姿が際立って見える。ピロティでは生徒会役員の生徒が“あいさつ運動”をしていた。係りの先生が率先して挨拶を行っていたが、挨拶をするほうもされるほうも恥ずかしそうで見ていて愛らしく思えた。
質実剛健の気風があったころは、先輩の姿を見かけたら挨拶をしたものだ。それも、いったん立ち止まって。その古き伝統が今も息づいているのが野球部だ。今朝も直立不動で大きな声で挨拶をしてくれた。でも、集団で挨拶されるとやっぱり恥ずかしい。(4月11日)
友の顔が目に浮かぶ・・・。
珍しいことをすると、‘’珍しい事‘’が起こるものだ。日曜に同窓会館に行きパソコンを開いたら、見慣れないメールが届いていた。高校27回とあったので、同級生かなと思いつつ名前を見たら3組のUさんだった。
Uさんからは関西支部の総会を計画したいので、名簿と宛名シールを送ってほしいという内容であった。Uさんとは体育授業が一緒だったのでよく覚えている。運動神経が抜群でバドミントン部で活躍していた。すぐに顔が思い浮かんだ。現在は奈良県にお住まいで、関西支部の役員をしているらしい。「懐かしいねえ、覚えているかい?」とメールをしたら、「覚えているよ。柔道でインターハイに行ったよね。」と返信がきた。
Uさんの肩書から、就職した会社で現在も仕事をされているようだ。選抜高校野球大会を2回も見に行ったそうである。「長商よ。早く甲子園にこい!」というメッセージが添えられていた。卒業して長い年月が経った今でもこうして「長商」という名のもとに繋がっている。「長商」で共に過ごした高校時代が特別なものに思えた。(4月9日)
ホームページアクセス件数が1000件を超えました。(ありがとうございます‼)
11月にホームページをリニューアルし、新年の1月9日からホームページのアクセス件数を記録するようにしました。1月末は194件と意外と低い数字でしたが、日を追うごとにアクセス件数が増えました。
4月6日に目標にしていた1000件を超え、予想より早く達成できたことに驚いています。東方会長の挨拶でホームページやメールによるDX(デジタル トランスフォーメーション)の推進の話をされているので、引き続き情報の発信や会員の交流の輪が広がる努力をしたいと思います。何より向上心を失わないように心がけます。
1000件突破の記念写真は、これまで撮ってきた写真の中から「土筆」を選びました。つくしは「土筆」と書きますが、つくしが土に刺した「筆」のような姿をしていることにちなむと言われています。花言葉は意外、驚き、努力、向上心です。閲覧されている皆様からホームページのご感想やご意見をお聞かせいただければ幸いです。(4月6日)
落ち葉掃除をしました。
同窓会館前の庭掃除をしました。昨年は8月と長商デパート前に下草刈をしましたが、5ヶ月ぶりの掃除になります。数日間天気が良かったので、乾いた落ち葉を掃くのはそれほど大変ではありませんでしたが、結構な量でした。
同窓会館は月・水・金の午後と第2・第4土曜の12時から16時まで開館します。(事前申込みで平日の夜間も利用できます。)
同窓会館が使用しやすくなりましたので、同級会や同期会の計画にご利用ください。(4月4日)
雲上殿から城山桜を撮ってみました。
今年の桜の開花は観測史上最も早いらしい。昨年、一昨年と雨風で花見前に桜の花が散ってしまうという残念な年が続いたので、今年は満開を待たずに桜見物に出かけた。穏やかな天候にも恵まれ、絶好の花見日和となった。まずは「花より団子」ということで、南石堂町のN餅屋(長商OB)でみたらし団子とよもぎ団子を買っていざ城山公園へ。皆考えることは同じようで、多くの家族連れやカップルで賑わっていた。当然、駐車できるスペースはなく、そのまま雲上殿へ移動。桜は咲いていたが、座る場所が見当たらない。仕方なく辰巳池へ。ここでも駐車できずに東和田運動公園のサブ陸上競技場へと車を走らせた。この場所は夜桜をよく見に来ていた場所で、競技場を囲むようにソメイヨシノが植えてある。桜の木の根元にシートを敷き、ようやく一息ついた。下から見上げる桜もきれいなものだなと思いつつ、森山直太朗の「さくら」をスマフォから流した。いい気分を味わった。やっぱり桜を見ながら食べる団子は最高だ。(4月2日)
男子バドミントン部 おめでとう!!
昨日、長商バドミントンOB会長の和田州平氏(高27回)から吉報の電話があった。全国高校選抜バドミントン大会で山田選手が男子シングルスで3位に入ったという情報である。既に、男子バドミントン部は団体で長野県初となるベスト8に入っていたので、個人戦を楽しみにしていた矢先のことである。23日のブログでインターハイでの活躍を期待したが、早くも全国大会で入賞したことはうれしい限りである。
思えば、バドミントン部が県大会で活躍しだしたのは平成7年ごろと記憶している。当時、神林務先生(S60年~H11)が現在のバドミントン部の土台を築き、その後倉田吉春先生(H11~19)に引き継がれ全国大会の常連校になった。現在の小山智之先生は平成26年に赴任されているが、これまで多くの優秀な選手を育てている。今大会で大きくステップアップした結果となったが、インターハイでも全国に長商の名を轟かせてほしい。(3月29日)
ようこそ、長商へ
今日は令和5年度入学予定者の登校日だ。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、5クラスに分かれて1時間ほどオリエンテーションを行った。受付開始の午前8時30分前にはほとんどの生徒が中学校の学生服で正面玄関を通っていった。午前8時前に登校した生徒がいたので、時間を間違えたのかなと思い聞いてみると、バスがこの時間しかなかったのだという。バス停から長商までの間何を考えながら歩いてきたのだろう。クラスメイト、担任の先生、勉強、クラブ、先輩、将来など、今は希望より不安の方が大きいかもしれない。でもその不安もあとわずか。長商に入学する生徒はみんな素直で、先生は優しく、先輩は面倒見がいい。楽しい学校生活がきっと待っているから。(3月27日)
3月の風物詩
長野県教育委員会から年度末の人事異動が公表された。教職員の人事異動は毎年3月に段階的に発表され、新聞紙上に大きく掲載されるので3月の風物詩ともなっている。高校の校長職は後期選抜入試のあと、教育委員会事務局、教頭職は後期選抜合格発表前、そして、教諭・新任教員と続く。生徒数が減り、学校規模が小さくなっているので、先生方の異動人数も大分少なくなった。かつては1学年10クラス規模の学校があったので、1校10名以上の異動もそう珍しいことではなかった。
今回の管理職人事で嬉しいニュースがあった。長野商業高校出身の3名が教頭に昇任した。商業では4名が教頭になったが、内3名が長商出身者である。宮川敏晃氏(高39回)、辻 隆秀氏(高42回)、吉村(旧姓土屋)恭弘氏(高45回)の3名である。長野商業高校出身者で母校の校長になったのは第18代の故林大太郎氏(商27回)であるが商業ではない。また、長商出身者で商業高校の校長になったのは、故滝沢荘衛氏(商42A)と金井周三氏(商42B)の2名だけである。母校長商の校長として赴任する日が待ち遠しい。(3月24日)
令和5年度の活躍を期待す
今日は長野商業高校の3学期終業式。3年生は3月3日に卒業したので、体育館には1・2年の生徒が集まった。終業式前に一般財団法人長商会よりクラブ表彰が行われ、塚田同窓会副会長より2名の代表者に賞状が手渡された。今年はwithコロナということで通常どおりの大会が開催され、昨年より多くの生徒が表彰対象になった。
クラブ活動にとって3月の練習は県大会の成果を占う大事な時期だ。この時期に多くの対外試合を経験することで、インターハイ出場が決まるといっても過言ではない。そういう点では、全国選抜大会に出場しているバドミントン部、卓球部、女子ソフトボール部は令和5年度も大いに期待できるだろう。特に、男子バドミントン部は昨年のインターハイでベスト16を成し遂げた。主力選手が2年生だったので、インターハイの組み合わせ如何によってはベスト4以上も夢ではない。伝統あるソフトテニス部や剣道部、そして北信越大会新人戦に出場した女子バレーボール部や女子バスケットボールの活躍も楽しみである。
3月26日(日)には、長商と岩村田高校の野球試合が長商グラウンドで組まれている。昨年夏の大会では4回戦まで進んだので、まずは春季大会で勢いをつけ、夏の大会に繋げてほしい。(3月23日)
ワクワク、ドキドキがとまらない
皆さん、野球に盛り上がっていますか! いよいよ選抜高校野球が始まった。野球となれば長商も伝統校であり、2000年(平成12年)には元プロ野球選手だった金子千尋さん(高54回)が2年生の時に甲子園大会に出場した。同窓会館には第72回選抜高校野球大会のパネルが飾られている。(是非、見に来てください!!)
高校野球も近年のコロナ禍で球場の応援が出来ない年もあったが叶うようになった。高校野球観戦にあちこちの球場に足を運ぶ自分には、ちょっとしたこだわりがある。それはあえて応援するチームの相手側のスタンドで観戦すること。さすがに声援は送れず、また少々メンタルをやられる時があるが、相手側にいることでベンチにいる選手と監督の姿が見える。試合のみならず、ベンチでの様子がわかること、これが自己流の楽しみ方だ。
何はともあれ、WBCが日本で行われたことは盛り上がりが大きく、ようやく寝不足からも逃れた。いよいよ準決勝の戦いだ。そして高校野球も連日熱戦。どちらもワクワク、ドキドキがとまらない。(3月18日)
さらば、マスクよ
3月13日から個人の判断でマスク着用をしなくてよいことになった。大歓迎である。遅きに失するくらいである。これでマスクともおさらばかと思いきやそうでもなさそうである。町を歩く人や通学する学生をみても皆マスク姿でこれまでとはあまり変わらない。テレビのインタビューで「いまさらマスクをはずせない」と女性が答えていた。確かに、マスク生活はこの3年で定着した。マスク美人やマスク詐欺という女性のマスク姿を揶揄する言葉も生まれた。
私にとってマスクは弊害そのものだ。相手が何をしゃべっているのかよく聞こえないからである。マスク+フェイスシールド+アクリル板+滑舌の悪い人+早口で小声の人は5悪の何物でもない。電話を受けることが多いので、電話拡声器を買った。耳がだいぶ衰えてきたので、補聴器や集音器をつけてみた。新型コロナワクチン接種を5回受けたそういう自分も実はマスク生活を続けている。花粉症防止対策で、である。(3月14日)
同窓会館にも春が来た
今日は暖かいというより、暑さを感じる陽気な一日だ。普段は気にも留めない野草に目をやると、小さな青い花をさかせた野花を見つけた。オオイヌノフグリである。同窓会館の周りにも春の到来を告げるように生い茂っている。花言葉をみたら、「忠実」「信頼」「清らか」とあった。(学名:Veronika persica) その言葉の由来を調べてみると、十字架を背負うキリストの姿に心打たれた聖女ベロニカがスカーフを差し出したところ、キリストの顔の汗を拭ったそのスカーフにキリストの顔が浮かび上がったんだとか。この聖女ベロイカの敬虔な行動にちなみ、「忠実」「信頼」「清らか」といった花言葉がつけられたそうである。(勉強になるなあ。)
でも、なんで鮮やかで小さな青い花をつけるかわいらしい花が、日本では「大犬の陰嚢」なんてつけられたんだろう。(3月10日)
高校生活を楽しんで・・・
いよいよ高校入試。何だか落ち着かない気持ちになる。
受検生の皆さんは、手が震える....とか、心臓が飛び出そう....とか、味わったことがない緊張が全身に走ることでしょう。今や公立の高校入試は前期選抜と後期選抜とからなり、滑り止めの併願試験も当たり前となった。私の頃はそれらがなく受検も(当時は『受験』)一本。一斉に入試を迎え、クラス全員が同じ日に合格発表だった。時代の流れと共に、高校入試は変わっていった。
私が長商を受検したのは、本来の志望だった高校を断念したからだ。併願の選択肢はなかった時代で、思い切ることはできなかった。そんな自分だったが、長商生となり、クラスの仲間や担任の先生に恵まれた。部活に励んで大ケガを経験したが、高校生活を思い切り楽しんだ。
誰もが通る高校入試。受検勉強との闘いから、いざ本番へ。最大限に力を発揮して、春を迎えてほしい。(3月7日)
卒業式を終えて
同窓会事務局員のMさんがブログに参加しましたので、よろしくお願いします。
さて、今週は慌ただしかった。予想はしていたけど、時間に追われる日々が続いた。クラブ表彰の賞状印刷、定時制・全日制の卒業証書フォルダーの用意、祝電の作成、同窓会役員さんとの打ち合わせ、式典の参観、銀行業務、ホームページの更新などなど。
学校の最大行事は卒業式だが、教師にとっても、生徒にとっても「卒業」は特別なものである。卒業生が最後のホームルームを終え中庭や駐車場に自然と集まりだした。時を忘れたかのように仲間との別れを惜しんでいる。何度もみてきた光景だが、感動的なシーンである。午後4時を回り、そろそろ仕事を切り上げるかと思っていたら、予期せぬ訪問者がやってきた。「中に入ってもいいですか。」と2人の男子卒業生が顔を出した。4月からは商業系の大学に進学するという。同窓会館に入るのは初めてだといっていたが、暫く2階で卒業アルバムを見ていた。帰り際に「また、おいで。」と声を掛けたら、「ありがとうございます。」と一礼して帰っていった。 “いい青年だ” 『心は高くだぞ。』と後ろ姿にエールを送った。
新しい出発を心から応援しています
今日は、長い長い歳月を経て母校の卒業式に出席。懐かしくて涙したいところではあるが、正直とても不思議な気持ちになった。自身の頃を思い出そうと目を閉じてみたが、頭に巡る光景は我が子の卒業式ばかり。記憶はよみがえらず、歳を重ねてきたことを改めて感じた。それでも母校にいることの喜びは言葉で表せるものではなく、夢なのか、現実なのか・・・と、そんな日だった。
3年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。(M)
見上げてごらん夜の星を・・・
令和4年度長野商業高校定時制の卒業式が行われると聞いて会場に行ってみた。場所は懐かしい食堂。もう30年前になるけど、自分もこの場所で卒業生を送り出した。入学したときは18名いた生徒が、留年や退学等で卒業は7名だった。先輩の先生から「昼間仕事をしているのだから、学校に来るだけでも褒めてあげなさい。」と言われた。でも、現実は厳しかった。1年で半数が出席日数不足で退学を余儀なくされた。入学式後に撮影した1枚の写真が今も懐かしい。定時制には第2校歌がある。坂本九の「見上げてごらん夜の星を」である。いつから歌いだしたかはわからないが、「卒業生を送る会」で必ずみんなで合唱した。その曲に、その歌詞になぜかいつも涙した。4年間を共に過ごし、共に歩んできた思いが走馬灯のように駆け巡る。修学旅行は楽しかったなあ。体育の授業でフットサルや卓球に熱中したなあ。みんな元気でいるかなあ。(3月2日)
トラ トラ 長商!
「活躍する同窓生」に塚田篤雄(高27回)さんにご協力いただきました。塚田さんは現在長商同窓会の副会長であり、私と同期でもあります。高校時代はクラスも類型も違ったので、話をするということはあまりなかったように記憶しています。塚田さんと話をするようになったのは卒業後の同期会からです。高校時代にソフトテニス(当時は軟式庭球)で活躍し、自分もインターハイに出場していたのでそんな話題から話をするようになったと思います。塚田さんも私も10年ごとの同期会には必ず出席し、自然と親交を深めるようになりました。平成29年度の同窓会懇親会では一緒に当番幹事をやり、今こうして同窓会に関わっていることに不思議なご縁を感じています。
現在塚田さんは家業のほかに商連関係や商工会議所等で35の役職を抱え大変ご活躍されています。同期のトップランナーとしてこれからも走り続けてほしいと思います。(3月1日)
「ちゃす!」 長商同窓会です。
訪問第一弾として長野西高校同協会(同窓会)にお邪魔しました。同窓会報と年会費振込票を3月に発送するために、例年OGの方が20人ほど集まって発送準備をするそうです。西村事務局長さんによりますと、以前は専門の業者に発送をお願いしていたが、費用が高いので少しでも経費を抑えたいという理由から15年ほど前に現在の形にしたようです。それでも印刷代や郵送料等で約300万円ほどかかるそうです。長野西高校同協会の発送数は約24000件(通信制を含む)と長商より8000件ほど多い数ですが、皆さん慣れた手つきでてきぱきと作業をしていました。
(2月22日)
「活躍する同窓生」をアップします。
凄い人がいるもんだ
同窓会事務局は、会員の年会費納入状況や会員名簿などを管理しています。仕事柄、同窓生にどのような方がおられるのか気になるところです。かつて、教員として長野商業高校に勤務し、学校創立90周年事業の準備をしていた時に二度驚いたことがあります。一度目は卒業生に弁護士になられた方がおられること。名簿を調べたら、現在も東京で法律事務所を続けられておられます。二度目は商34回の片桐匡さん(故人)です。当時、私はスキー指導員の受検のため、検定会や研修会に行きましたが、その時のスキー連盟会長が片桐さんでした。後で長商の卒業生と知って驚きと感動で一杯になったことを覚えています。令和4年度の開校記念講演は元外交官の竹本正美氏(高15回)でした。商業教育を学ばれた後に、異なった道を歩まれた方も結構おられます。
今回「活躍する同窓生」を企画しました。長商を卒業されたあと様々な分野でご活躍いただいている方々にお声がけをしました。ご了解をいただいた方から順次ホームページでご紹介していきたいと思います。
起業家や再チャレンジで頑張っている人などご紹介いただける方がおられましたら、事務局までご連絡ください。(2月18日)
あおげ若人 旭山
「あおげ若人 旭山」から始まる我らが母校の校歌。長野駅から、善行寺方面から登校しても必ず旭山を仰ぎながら登校した3年間。どんな名前の山かも知らずに卒業した偉人もおられるであろう。標高785mの低山ながら120年以上長野商業高校に通う若人を静かに見守ってきた。
今朝は昨夜からの雪であたり一面が雪景色となった。昼頃には道路の雪が解けるほどの季節になったが、まだまだ寒さが身に染みるのが信州。でも、この時季は空に雲がない青空で、見ていて気持ちがいい。長商に向かいながらふと見上げた旭山が雪化粧をしていた。そそくさと同窓会館に行き、2階の窓からシャッターを切った。(2月15日)
訪日教育旅行再開
朝の新聞に「台湾修学旅行 再開向け視察」の記事が載っていました。新型コロナウイルス感染症が2019年12月に中国武漢で発症し、それ以来海外の高校生との交流は途絶えました。今年5月に新型コロナウイルス感染症が5類に引き下げるのを受け、日本旅行業協会が台湾への修学旅行の本格的な再開に向けた現地視察を行ったという内容でした。長野県の修学旅行は沖縄県が多いですが、近年台湾への修学旅行が増加し、令和2年度は公私立合わせて10校程度訪台する予定でした。台湾から来る高校生の受入れは長野県が全国トップクラスで、多いときは年60校ほど交流を行いました。長野商業高校は平成29年度に宜蘭県から国立蘇澳高級海事水産職業学校と国立羅東高級商業職業学校の2校と交流を行っています。(2校とも交流をサポートしました。) また、同年に長野商業高校が国立羅東高級商業職業学校と台湾で交流を行いました。
今年の5月には台湾からの高校生を受け入れる予定があるそうです。生徒の笑顔が楽しみです。(2月14日)
富山県立桜井高校女子バスケットボール部が来校
学校に大型バスが停まっていたので、どの学校かと思ったら、富山県立桜井高校女子バスケットボール部とありました。今日まで北信越高校バスケットボール大会が松本市総合体育館で行われているので、その流れで練習試合に来たらしい。本校の女子バスケットボール部も長野県代表として出場しているけど、強くなったなあ。私の高校時代は女子バスケットボールはなかった。中心は男子バスケットボールで、OBの新井文定氏(故人 商30回)が指導していた。背の小さい人で、いつもベレー帽をかぶり、サングラスをかけ、強面の人だった。同級生に聞いたら、なんでも神宮大会で全国優勝を果たした凄い人だとか。(ご自宅は新井大正堂書店として現在も信大の近くにあります。)
当時はOBがクラブ指導するのが当たり前で、先生は引率顧問だった。今の長商は、女子ソフトボール、男子バドミントン、卓球、剣道、ソフトテニスなどが全国大会の常連校になった。(すごい!!) 競技を専門に指導できる先生が揃っているのも長商の大きな魅力です。(2月12日)
花みずきの蕾が膨らんできました
今日から「会館ブログ」を立ち上げました。毎日とはいきませんが、1週間に1~2回学校や地域の様子をお伝えしたいと思います。感想などありましたら、ホームページからメールでお送りください。お待ちしています。
先週の日曜は「全商商業経済試験」と聞きなれない試験が行われ、生徒の迎えで駐車場が満杯状態。今日は2月11日(土)建国記念の日。数台の車があるだけで、「静」の中に包まれています。2月に入り強い寒波の影響で道路にはまだ少し雪が残っていますが、日差しは春の気配を感じるほどの暖かさ。同窓会館の前庭に卒業記念樹として植えられた「花みずき」の蕾が少し膨らんできた気がします。